人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 横浜市戸塚区の五霊神社 ーー

2019-09-29 19:50:15 | 日記

JR戸塚駅西口バスセンターから立場ターミナル行きのバスに乗り10分位で五霊神社前バス停に着きます。この五霊神社ですが、祭神は村岡五郎平良文、村岡公致(きみむね)、村岡致成(むねなり)、鎌倉景成、鎌倉権五郎景政の五柱。はじめは村岡郷宮前村の御霊社を、この地の森織部義秀が勧請し、その後に鎌倉権五郎景政を合祀し、五霊神社となったと神社の由緒書きにありました。

では村岡郷宮前の御霊神社はどこにあるのか、地図で調べてみますと、藤沢市宮前に確かにありました。参拝したことはありませんが、神戸製鋼所工場の隣で、村岡氏所縁の村岡城址や二伝寺などはJR東海道線の線路を挟んで近く、今は東海道線で分断され遠くに感じますが、その昔は同じ地域にあったと思われます。

またこの五霊神社あたりを汲沢といいますが、北の方から宇田川が流れています。この宇田川の水源は戸塚区のとなり泉区中田にある御霊神社の弁天池だと資料にありました。宇田川は途中で境川と合流し、相模湾に流れつきます。また鎌倉を流れる柏尾川も藤沢市川名で境川に合流します。そうしますと、どうも村岡郷といわれる地域は、柏尾川の北、境川の東で、宇田川の水源のある泉区中田あたりまでの広い地域だったと推測されます。

鎌倉にいるとあまり関心なく通り過ぎますが、五霊神社の祭神の一柱である村岡五郎平良文という人物にもう少し焦点をあてる必要がありそうです。村岡氏の系図によれば、桓武天皇からはじまり、平姓を名のった高望王の第五子が平良文で鎮守府将軍村岡五郎とあります。その兄弟は良望の直系が平清盛、良将の子が平将門。そして子孫には鎌倉権五郎景政や三浦義明、和田義盛などの三浦一族、岡崎義実など錚々たる人物がいます。大げさに云えば、村岡良文がいなければ、源頼朝の挙兵は実現しなかったかもしれません。

鎌倉市内や横浜市内に点在する五霊神社や御霊神社、これらを結びつけてみるのも面白いかもしれませんね。

 

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