藤沢の白旗神社の近くに正宗稲荷大明神があります。通りすがりに目に留まったので詳しい由緒などは不勉強ですが、刀工正宗と所縁のある稲荷社のようです。鎌倉にも正宗稲荷はありますが、こちらは日蓮宗の妙善寺の境内にあり立派な社殿が建てられています。やはり江戸時代に東海道の宿場であった藤沢には財力のある篤志家も多かったと思われます。
ところでお稲荷さんは何故に「正一位」の神階をもっているのか? 不思議に思っていたのですが、伏見稲荷大社の季刊誌『大伊奈利』に解説がありました。この神階とは元来、平安時代に朝廷と関わりのある神社に対して、授けられた位階のこと。伏見稲荷大社に神階が授けられた最初はご鎮座の年から116年後の天長四年(827)。東寺の五重塔を建立するために稲荷山の木を伐り、その祟りにより淳和天皇が病気になったことから、その祟りを鎮めるために「従五位下」の神階が贈られてより次第に累進して、天慶五年(942)ついに極位「正一位」となったとあります。そして平安時代に後鳥羽上皇が行幸した際に、「当社は五穀豊穣・衣食住の守護神で諸人の尊信すべきものであるから、信心の輩が其の所々において鎭祭するのはこれすべて当社の分神であるによって、本社より勧請の神体には”正一位”の神階を書き加えて授けよ」と仰せられました。これが「正一位」の由来。かの後鳥羽上皇まで関係するとは知りませんでした。因みに、お稲荷様の「分神(みたまわけ)」のことを「神璽勧請(みたまかんじょう)」といい、日本国内にこの勧請が拡まったとのことです。どこにでもお稲荷さんが祀られている理由でしょうか。
私も以前に伏見稲荷と真言宗の祖である空海の関係を調べたことがあり、最初はとても友好的な関係であったと思っていました。どうもそうではなく、空海が勝手に稲荷山のヒノキの巨木を伐採したことが稲荷大明神の怒りを買い、険悪な関係になったようです。なにしろ伏見稲荷大社の歴史は平安遷都の歴史より古いのですから。さもありなんと思われます。