人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

安芸の宮島への旅 --大鳥居は修理中ーー

2019-12-31 16:31:16 | 日記

宮島のシンボルといえば海に浮かぶ大鳥居でしょう。厳島神社の資料によれば、創建は明らかではないが、平清盛の援助による仁安造営時を初代とすると、現在のものは8代目で明治八年(1875年)に再建されたとあります。誰が造ったかと言えば、三十三間堂を建立した平清盛の美的・建築のセンスは素晴らしく、清盛で間違いないと思います。海に大鳥居を浮かべる発想は清盛ならではでしょう。

現在は工事用のカバーが掛けられ見ることができませんが、資料から構造を書いたものを抜粋しますのでその姿をイメージしてみてください。

形式は東西に楠の主柱を置き、その前後に杉の袖柱を2本ずつ計4本配し、上下2段の袖貫で主柱を繋いだ木造両部鳥居です。主柱は上部で大貫を通して繋ぎ、その上に島木・笠木を置いています。当社の場合、島木と笠木は箱状に造られ内部に石が入っています。東主柱は日向国児湯郡岡富村から、西主柱は讃岐国丸亀の木に宮島の亀居山の楠を鉄帯金物で2か所固定して継いでいます。袖柱4本や袖貫、島木、笠木は宮島のものを使用しています。柱下の基礎は千本杭と言われる松杭が打ちこまれています。

大鳥居の大きさですが、高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60tです。因みに若宮大路にある一の鳥居の高さ8.5mの2倍近くの高さになります。陸から離れた場所にあるのでさほど感じませんが大きいですね。そして台風がきても倒れない工夫や、重機もない時代にこれだけのものを海中にどう立てたのかなど、興味は尽きません。

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安芸の宮島への旅 --厳島神社を参拝するーー

2019-12-31 14:15:00 | 日記

せっかくの広島旅行なので原爆ドームを見学したあとに世界文化遺産である宮島にいきました。原爆ドームのある広島平和記念公園からは広電宮島口行に乗れば50分位で宮島口に着き、そこからフェリーに乗船し10分位で宮島に渡れます。広島勤務の頃に原爆ドームと宮島の厳島神社が同時に世界文化遺産に登録(1996年)されたこともあり、何度も訪れ、時間があれば弥山(標高535m)にも登り、満潮時でも干潮時でも美しい、海の中に建つ大鳥居と厳島神社の風景を堪能したものです。

さて厳島神社ですが、御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神。御由緒によれば、御祭神は天照大御神と素戔嗚尊が高天原で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、または海上の守護神として古くから崇信を受けられた。宮島に御鎮座地を探されるにあたり、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下った。海水の差し引きする現在地を選んで社殿を建てたのは推古天皇ご即位の年(593年)であると伝えられる。その後、安芸守平清盛が寝殿造様式に社殿を修復(1168年)、後白河法皇や高倉上皇の御幸があったなどと書かれています。

御祭神は古事記にでてくる三女神で、素戔嗚尊の十挙剣(とつかのつるぎ)を天照大御神が噛み砕き吹き出して生まれた宗像三女神と言われる神々です。御祭神を語る場合、どうしても江戸時代以前のことが知りたくなりますが、御祭神は古くから市杵島姫命でした。弁財天と習合し、隣の大願寺と一体化していたようです。明治時代の廃仏毀釈では、一時本殿焼却の命令が下りましたが、なんとか焼却は免れたと記録にありました。厳島神社も廃仏毀釈の嵐に巻き込まれていたとは。まさに・・・ですね。

写真は本殿から現在修理中の大鳥居を写したもの。大鳥居が見れないとやはりさみしいですね。暫くかかりそうです。

 

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