人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --旧相模川橋脚ーー

2020-03-20 15:55:25 | 日記

東海道歩きの途中、茅ヶ崎を過ぎ相模川を渡る手前、小出川のそばに国指定史跡「旧相模川橋脚」があります。案内板に説明書きがありましたので、書き写してきました。

小出川二沿ヒタル水田中二存ス大正十二年九月及翌十三年一月ノ両度ノ地震二依リ地上二露出セルモノニシテソノ数七本アリソノ後地下二隠ルルモノ三本ヲ発見セリ蓋シ鎌倉時代二於ケル相模川橋梁ノ脚柱ナラン

関東大震災の液状化現象によって水田から出現した中世前半代の橋脚跡です。この旧相模川橋脚についての逸話が五味文彦氏の『源実朝』に紹介されていますので、掻いつまんでふれてみましょう。

源実朝は二所詣に心を砕いていました。建久九年(1198)に稲毛重成が架けた相模川の橋が朽ち損じたので、建暦二年(1212)二月に三浦義村から修理の訴えがあって、北条義時や大江広元、三善善信らが群議しました。この橋の供養に臨んだ源頼朝が帰途に落馬してほどなく亡くなったことや、稲毛がその後の謀反を理由に殺害ことなど不吉が続いたので再興すべきではないとの結論を下しました。これを聞いた実朝は、頼朝が亡くなったのは武家の権柄を執って二十年、官位を極めた後のことであるので、橋を建立した禍とは見なせないし、稲毛のことも己の咎であるから不吉でもなんでもない。橋は二所参詣の要所であり、これがないと庶民が不便であるとして、修復するように命じたとのことです。

また相模川を舟で渡ったときに詠んだ歌が『金槐和歌集』に載せられています。

  相模川といふ川あり。月さし出でてのち、舟に乗りてよめる

  夕月夜(ゆふづくよ) さすや川瀬の 水馴れ棹 なれてもうとき 波の音かな (635)

この旧相模川橋脚一つにこれほど物語があるとは。東海道歩きも捨てたもんではないですね。

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東海道中膝車 --戸塚から藤沢ーー

2020-03-20 10:29:57 | 旅行

この東海道中膝車シリーズは、第1弾が「日本橋から戸塚宿まで(43.2㎞)」。これはこのブログを始める前のことであり、道中の写真も保存されておらず、記憶だけの話です。第2弾は「京都三条から尾張の鳴海宿まで(132㎞)」。この部分は2016年2月14日のブログで鳴海宿の祭りの様子(2015年10月18日)を最後として、歩いた様子を紹介させていただいています。ということで、この東海道膝車シリーズは4年半以上中断していたわけです。

とは申しましても、やはり全行程126里、約500㎞を完歩しないと気が済まなく、いつ再チャレンジができるか、チャンスを狙っていました。そのチャンスは思いもかけずに新型コロナウイルス感染予防措置の緊急対応がもたらしてくれました。集団で行動するすべての行事がキャンセルとなりましたので、一人であればほかの人に迷惑をかけることもなく、健康維持のための運動ができるだろうと考えたわけです。まだ完歩するには320㎞以上歩かなければなりませんが、果たしてできますか・・・?

再スタートの日は2月27日(木)。この日は足慣らしということもあり、出発時刻も11時頃で辻堂まで歩きました。最初は戸塚の町中を歩きます。源頼義・義家の造営と言われる戸塚の総鎮守である富塚八幡を過ぎ大坂を上れば、あとは藤沢宿手前まで国道1号線沿いをひたすら歩くことになります。藤沢からは県道30号線を歩きますが、藤沢宿の見どころは何といっても遊行寺でしょうか。時宗の総本山。ブログでも幾度か紹介していますので説明はスルーします。

藤沢宿で一度訪ねてみたかったのが写真の養命寺です。県立湘南高校を過ぎ、引地川を渡った先にあります。何故かといえば、寺の本尊の薬師如来像が国の重要文化財であり、鎌倉国宝館でも拝観させていただきました。養命寺の先、国道1号線と合流するところが大山道と分かれ道で道標と鳥居があります。大山寺や阿夫利神社への参詣道として賑わったところです。

本日はこの先まで、南に向かえば湘南テラスモールで、JR辻堂駅から帰りました。歩行距離は10㎞位。まだまだ先は長いです。

 

 

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