東海道歩きの途中、茅ヶ崎を過ぎ相模川を渡る手前、小出川のそばに国指定史跡「旧相模川橋脚」があります。案内板に説明書きがありましたので、書き写してきました。
小出川二沿ヒタル水田中二存ス大正十二年九月及翌十三年一月ノ両度ノ地震二依リ地上二露出セルモノニシテソノ数七本アリソノ後地下二隠ルルモノ三本ヲ発見セリ蓋シ鎌倉時代二於ケル相模川橋梁ノ脚柱ナラン
関東大震災の液状化現象によって水田から出現した中世前半代の橋脚跡です。この旧相模川橋脚についての逸話が五味文彦氏の『源実朝』に紹介されていますので、掻いつまんでふれてみましょう。
源実朝は二所詣に心を砕いていました。建久九年(1198)に稲毛重成が架けた相模川の橋が朽ち損じたので、建暦二年(1212)二月に三浦義村から修理の訴えがあって、北条義時や大江広元、三善善信らが群議しました。この橋の供養に臨んだ源頼朝が帰途に落馬してほどなく亡くなったことや、稲毛がその後の謀反を理由に殺害ことなど不吉が続いたので再興すべきではないとの結論を下しました。これを聞いた実朝は、頼朝が亡くなったのは武家の権柄を執って二十年、官位を極めた後のことであるので、橋を建立した禍とは見なせないし、稲毛のことも己の咎であるから不吉でもなんでもない。橋は二所参詣の要所であり、これがないと庶民が不便であるとして、修復するように命じたとのことです。
また相模川を舟で渡ったときに詠んだ歌が『金槐和歌集』に載せられています。
相模川といふ川あり。月さし出でてのち、舟に乗りてよめる
夕月夜(ゆふづくよ) さすや川瀬の 水馴れ棹 なれてもうとき 波の音かな (635)
この旧相模川橋脚一つにこれほど物語があるとは。東海道歩きも捨てたもんではないですね。