人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --箱根路の曽我兄弟の旧跡ーー

2020-03-26 13:32:59 | 日記

箱根湯本、早雲寺の近く正眼寺に曽我堂があります。その曽我堂縁起には、

建久四年(1193)5月富士裾野で父の仇、工藤祐経討ち本懐を遂げた曽我五郎・十郎の菩提供養のため、兄弟の親類縁者によって兄弟が仇討成就を願って祈念参籠したといわれる湯本地蔵堂の近くに曽我堂が建立されました。その創建年代は明らかでありませんが、江戸初期に修復された記録がありますので、それ以前に遡ることは確かです。江戸時代東海道箱根八里の沿道にあったこの堂の地蔵菩薩像は曽我歌舞伎の流行とともに「曽我兄弟の化粧地蔵」と呼ばれ、街道を行く旅人の信仰をあつめました。

現在もこの地蔵菩薩像はお彼岸にご開帳されると、お寺の方に伺いました。江戸時代には、『吾妻鑑』や『曽我物語』をもとに近松門左衛門が浄瑠璃を書き、初代団十郎が歌舞伎の演目として取り上げた曽我物は人気を博しました。上方や京に上る人や伊勢参りに出かける人々にとっては、街道沿いにあるこうした名所見物も楽しみの一つでした。大磯の曽我十郎の愛妾虎御前ゆかりの旧跡もしかりです。

また小田原市の資料をみますと、中世の箱根山は死者たちの霊魂がさまよう山といわれたらしく、霊魂は国境に集まる。まさに箱根山は、東国と西国の境の山であったようです。天下の験と唄われ、ただでさえ険しい道のりに加え、こんなちょっと恐ろしい話を聞けば、曽我五郎・十郎の供養のためにゆかりの地蔵菩薩像に手をあわせたくなる気持ちは理解できます。

江戸時代、旅慣れた人は箱根八里を箱根山中にとどまらず、一気に三島宿まで行ったと言われています。その気持ちは交通の発達した今でも変わりませんね。私もひたすら三島を目指すことにします。

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東海道中膝車 --二宮から須雲川(午後の部)--

2020-03-26 09:56:59 | 旅行

小田原城近くの「なりわい交流館」をお借りしてお昼を済まし、箱根路の旅を急ぎます。箱根湯本までは早川沿いを旧道を通ったり、国道1号線沿いを歩いたりと、ガイドブックから目を離すと間違います。実際に鈴廣の蒲鉾店に気を取られ、箱根登山鉄道風祭駅近くの君田島踏切から入生田駅までの旧道を見落としました。大した距離ではないのですが結構気になるものです。

箱根湯本の手前の三枚橋には13時15分頃に着きました。いよいよここから須雲川沿いに箱根の山登りです。もちろん本日中に元箱根まで行くのは無理で、次回の箱根峠を越えて三島まで行くには、途中どこまで登って引き返すのが良いかが思案のしどころ。幸い旧東海道沿いを元箱根まで30分に1本のバスが運行していますので、今日中に畑宿あたりまで行ければ、次回の展望が開けてきます。さらに本日の楽しみの一つに早雲寺の拝観と近くの弥坂湯(公衆浴場)の入湯がありますので、これも考慮しなければなりません。

県道732号線沿いには歩道がありませんので車に注意する必要があります。写真の早雲寺には北条氏五代のお墓があり、その先の正眼寺には曽我五郎・十郎ゆかりの曽我堂、曽我堂は別に紹介させていただきます。とにかく行ける所まで行こうと、停留所ごとの帰りのバスの時刻表を見ながら先を急ぎました。

畑宿の手前、稲荷大権現から道は須雲川自然探勝歩道(旧東海道)になります。畑宿まで1.7㎞。着いたのが14時40分。どんな山道か分かりませんし、歩けば1時間近くかかるかもしれないと思案し、本日はここで終了し、引き返すことにしました。こういった判断が大切です。実際畑宿までの道は苔むした石畳があったりして結構難儀しました。夕方に通る道ではありませんでした。

帰りは須雲川のバス停から曽我堂上までバスを利用。弥坂湯(入湯料650円)で疲れた体を休め、箱根湯本から家路につきました。次回は箱根湯本からバスで須雲川まで行きますが、バス停の場所と時刻表のチェックをしておくと、プランがたて易いです。

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