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人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

禅の世界 --達磨とゴリラーー

2020-07-01 13:39:03 | 日記

何とも訳の分からないタイトルをつけました。

実は最近、『スマホを捨てたい子どもたち』(山極寿一著;ポプラ新書)という本を読み、山極先生の言われる「信頼関係をつくるのは言葉ではない。言葉は代替物であって、信頼関係へのリアルな架け橋になるのは、それ以外の五感の中、正しくは、五感を感じられる身体の中にある」と言う、ゴリラの観察から感じとった「言葉」に対する問題意識に同感するところがありました。言葉を持たないゴリラは眼でモノを語り、相手に共感する。この共感するとは、「相手の気持ちがわかる」ことで「理解する」とは違い、ただ「了解する」ことだとありました。なんとも禅問答みたいです。それにゴリラに近寄って見たことがありませんので、ネットで名古屋の東山動物園にいるハンサムゴリラで女性に人気のある「シャバーニ」君の動画を見つけました。書き込みには、見つめられると胸がキュンとなると書いてありましたが、なるほどいい眼をしていますし、存在感があります。静かに坐っている様子は大悟しているようにも見えます。

さてゴリラと達磨との関係ですが、このブログでも「安心立命」「拈華微笑」などの禅語を紹介してきましたが、『無門関』四則に胡子無鬢というのがありました。いずれも言葉でなく、心で受け止めよというものです。

或庵曰く、「西天の胡子(達磨大師)、なんによってか鬚なき」。  無門曰く、「参は須らく実参なるべし、悟は須らく実悟なるべし。者箇の胡子、直に須らく親見一回して始めて得べし。親見と説くも、早く両箇となる」。

無門は、この達磨の話にしても、一度は彼にぴたりと眼と眼の合うような対面をすることが必要だと言っています。山極先生は、言葉はヒトが生きる社会が広がったことから発明されたもの。しかし人間の脳の容積(1400㏄位)は60万年前から40万年前とほとんど同じ大きさ。そのため、いくら文化が発達したからといっても、互いに信頼しあっておしゃべり出来る人数はせいぜい15名。さらに真につながれる人の数も150人が限界であると。言葉は便利なものであるが、人間が自分の脳のキャパにみあった生き方をするなら、過度に言葉に頼るなと警鐘を鳴らしているわけです。ましてSNSなら一瞬で世界中に拡散し、記録はdelete不能です。

 

 

 

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