写真を見てください。散歩の途中で見つけました。とは言っても「妄想」が半分ですが、ついついミネルヴァのフクロウという言葉を思い出しました。これはローマ神話の女神ミネルヴァが従えているフクロウであり、知恵の象徴とされています。ウイキペディアには、あの哲学者ヘーゲルが『法の哲学』の序文で「ミネルヴァのふくろうは迫りくる黄昏に飛び立つ」と述べたとされると書いてありました。その意味の解説はありませんが、最近読んだ白隠禅師の言葉と共通するものがあるような気がしました。これも月刊誌『花園』からの引用です。白隠禅師の『遠羅天釜』巻上にある文章です。
人々はみな仏の智慧徳相を欠くことなく具えており、それぞれ光輝く仏性という素晴らしい宝珠を円かに備えている。この娑婆はそのまま光輝く浄土であり、みな廬毘舎那仏の真理の世界に住んでいるのだ。ところが智慧の眼が開いていないために、それを娑婆(苦しみに満ちた世界)であると見誤り、衆生と誤解し、得難き人としての生を受けながら牛馬同様にぼんやりと何のわきまえもなく徒に過ごして、悲痛に満ちた輪廻の世界をさまよっている。なんら変わることのない毘盧遮那仏の光輝く真理の世界であるのに、それを無間地獄と誤認しているのだ。
さらに白隠禅師はこの迷いの世界から脱するために、早く夢から覚めよ、眼を覚ませと言っています。そしてその夢をさますには真理をみること「見性」が肝要であると述べています。さてその真理をみるには如何にするか?知恵の神様であるフクロウのじっとして動かず瞑想をしているような姿を思い出してください。半眼ではありませんが、どこか坐禅をしている姿に似ています。
写真のフクロウは似ても似つかない偽物。邪念の固まりである私の心を写しているようです。