人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー庭先にいたフクロウーー

2021-06-12 20:18:53 | 日記

写真を見てください。散歩の途中で見つけました。とは言っても「妄想」が半分ですが、ついついミネルヴァのフクロウという言葉を思い出しました。これはローマ神話の女神ミネルヴァが従えているフクロウであり、知恵の象徴とされています。ウイキペディアには、あの哲学者ヘーゲルが『法の哲学』の序文で「ミネルヴァのふくろうは迫りくる黄昏に飛び立つ」と述べたとされると書いてありました。その意味の解説はありませんが、最近読んだ白隠禅師の言葉と共通するものがあるような気がしました。これも月刊誌『花園』からの引用です。白隠禅師の『遠羅天釜』巻上にある文章です。

人々はみな仏の智慧徳相を欠くことなく具えており、それぞれ光輝く仏性という素晴らしい宝珠を円かに備えている。この娑婆はそのまま光輝く浄土であり、みな廬毘舎那仏の真理の世界に住んでいるのだ。ところが智慧の眼が開いていないために、それを娑婆(苦しみに満ちた世界)であると見誤り、衆生と誤解し、得難き人としての生を受けながら牛馬同様にぼんやりと何のわきまえもなく徒に過ごして、悲痛に満ちた輪廻の世界をさまよっている。なんら変わることのない毘盧遮那仏の光輝く真理の世界であるのに、それを無間地獄と誤認しているのだ。

さらに白隠禅師はこの迷いの世界から脱するために、早く夢から覚めよ、眼を覚ませと言っています。そしてその夢をさますには真理をみること「見性」が肝要であると述べています。さてその真理をみるには如何にするか?知恵の神様であるフクロウのじっとして動かず瞑想をしているような姿を思い出してください。半眼ではありませんが、どこか坐禅をしている姿に似ています。

写真のフクロウは似ても似つかない偽物。邪念の固まりである私の心を写しているようです。

 

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鎌倉を知る ーー宝善院三摩耶庵(旧太田家住宅主屋)ーー

2021-06-12 15:06:04 | 日記

昨年8月17日に文化庁により告示された登録有形文化財(建造物)に腰越の「旧太田家住宅主屋(宝善院三摩耶庵)」があります。コロナ禍でしばらく外出を控えていましたのでなかなか見る機会もなく1年近く経ってしまいました。実は近くを散歩したときに思い出し宝善院に入山してこの建物を探したのですが、その時は外観の写真も見ていませんので、山門の手前の個人住宅が旧太田家住宅とはつゆ知らず通り過ぎていました。今回は文化庁の資料で詳細を調べ、改めて訪ねたものです。

この住宅は昭和11年(1936年)に建てられ、昭和16年に増築されています。建築面積307㎡。その解説文には「鎌倉市南西部の宝善院境内地にある木造の和洋折衷住宅。葛西萬司の設計による。木造平屋建一部二階建、寄棟造瓦葺で、中廊下の南を和室とし、南側の庭園に面して広縁を設ける。南西隅に洋風の外観で玄関ポーチや洋室を配し、和洋の意匠を巧みに融合する。」と書いてあります。壁の色はレンガ色またはベンガラ色。二階の造りが独特なのと寄棟の屋根も単純な勾配でなく、何処となくドームのイメージが想像されます。一階の玄関もモダンで格子の造形も意匠が凝らされており、大正から昭和初期のモダニズムを感じさせます。

設計者の葛西萬司(1863-1942)を調べてみますと、盛岡市出身で東京帝国大学工科大学造家学科を卒業。1903年に辰野金吾と辰野葛西設計事務所を開設。この設計事務所は1914年(大正3年)には旧中央停車場(現東京駅)を設計しています。辰野金吾は有名で知っていますが、この葛西萬司は知りませんでした。そう言われてみれば、この旧太田家住宅の造りはどこか東京駅の雰囲気に似ています。葛西萬司が東京駅をイメージして木造住宅を設計したかもしれません。百聞は一見に如かず。無機質な現代住宅より温かみがあって余程いいような気がします。

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