人生悠遊

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現代物理学「量子論」と東洋思想

2021-06-22 16:35:09 | 日記

かねて懸案でした掲題のテーマにチャレンジすることになりました。前回のブログで『「量子論」を楽しむ本』(佐藤勝彦監修)の内容を紹介しました。その中の最後でボーアの「相補性」にふれました。量子論が明らかにした物質観・自然観の特徴を、ボーアは「相補性」と言う概念を用いて説明しましたが、「相補性」とは、相いれないはずの二つの事物が、互いに補い合って一つの事物や世界を形成しているという考え方です。そのボーアは古代中国の『易経』に出てくる太極図を好んで用いたと書かれていました。では紀元前の書物である『易経』や『荘子』にはどんなことが書かれているのでしょう。

まず『易経』(岩波文庫 高田真治・後藤恭巳訳)について。あの当らぬも八卦当るも八卦の易です。易とは陰陽の変化を以って天地人三才の道を述べたもの。陰陽とは、あらゆる一切の事物の減少の性体及びその作用についての二つの属性を表わすもの。易の思想の中枢観念は陰と陽。自然界並びに人間界の一切の事物は陰陽二つに配される。陰陽は無限の変化。この無限の変化作用を説いたのが、易の思想である。また易に太極ありとする。この太極とは、いろいろの見方はあるが、陰陽を包括する太陽の気であると『易経』の解説に書いてありました。「粒」と「波」。陰陽との共通性をボーアは感じたのでしょう。

次に『荘子』の斉物論について。物は彼に非ざるはなく、物は是に非ざるは無し。自らを彼とすることは則ち見えず、自らを知ることは則ち是を知る。故に曰く、彼は是より出で、是もまた彼に因ると。彼と是れとまさに生ずるの説なり。・・・。是もまた彼なり、彼もまた是なり。彼もまた一是非、此れもまた一是非。果たして彼と是れあるか、果たして彼と是れなきか。彼と是れとその偶(対)を得るなき、これを道枢という。この道枢は「自他が互いに対立するものを一切知りつくした境地」というようですが、『易経』の太極と同じ意味かと思います。

太極図は白と黒のオタマジャクシのような模様が、一つの円の中に仲良く収まっている図です。古代中国では、争いをなくすには矛盾し、対立する概念を超越する姿を考えたようです。現代物理学の量子論も確率変数や不確定性原理を用い、ミクロの世界や自然界のあいまいさを数式化する努力を重ねてきました。さらに先に行く理論も出てきていますが、それは別の機会にします。

  

 

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