
この宝篋印塔残欠の俗称は、八百比丘尼の墓と言います。案内板の解説は次の通りです。
観応元年(1350)成立。大岩の上に地覆を据え、框(かまち)坐上に反花坐(かえりばなざ)、二重の段形を造り出した基礎の上に笠が乗せられています。基礎には観応元年の年紀が刻まれています。 俗称にある八百比丘尼とは若狭国(福井県)の伝説上の女性で、八百年も生きたとされていますが、なぜその俗称が付けられたかは定かではありません。(宝篋印塔残欠の絵があり、下から地覆・反花・受台・笠という)
八百比丘尼伝説をネットで調べてみますと、この伝説は全国各地に残っているらしく、人魚の肉を食べた女性が不老長寿を得、800歳まで生きたと言うもの。比丘尼になってから善行を積み、各地を回り、最後は若狭の国で入定したと伝えられています。
なぜ八百比丘尼伝説と結びつけられたのか?全くコメントのできない話です。
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