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案内板の解説では、宝篋印塔(俗称多田満仲の墓)となっています。(国指定重要文化財)
刻まれた銘文から、永仁四年(1296)に大和国の石工「大蔵安氏」により作られたと考えられています。また、追刻された銘文には正安二年(1300)の年紀と、六道地蔵の開眼供養に招かれた、鎌倉極楽寺の開山・忍性の別名「良観」の文字も見ることができます。
伝承では多田満仲(源満仲)の墓と言われています。源満仲は源頼朝の祖先にあたり、清和源氏の基礎を築いた10世紀の武将です。また鎌倉市内にある宝篋印塔は、古いものでも14世紀の中頃のものですが、この宝篋印塔は13世紀後半の製作です。箱根路の難所とは言え、巨大な宝篋印塔を箱根の山中に作る必要があったのか?どうして多田満仲の墓としたのか?追刻とは言え、忍性菩薩との関わりは何か?疑問だらけで全く興味は尽きません。
この元箱根石仏・石塔があるこの付近は、国号1号を駆け抜ける箱根駅伝でも往路山登りでの最高地点。そして自宅を6時に出発して、箱根湯本から4時間もかけて湯坂路を歩いて来た我が身にとりましても、不思議なもので、この場に立つと、有難さが数倍でした。余談ですが「ありがたい」という言葉は、難が有ると書きます。苦労して初めて味わう感激は一入(ひとしお)です。
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