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人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --北条重時の家訓ーー

2020-09-23 13:21:45 | 日記

北条重時(1198-1261)は鎌倉幕府二代執権である北条義時の三男で兄は泰時です。執権の陰で目立たない存在ですが、1230年から1247年までの17年間は六波羅探題として兄泰時を支え、1247年から1256年までは連署として五代執権北条時頼を支えました。特に六波羅探題として朝廷と幕府を繋ぎ、寺社や夜盗などに睨みを効かせた17年間の功績は大きいです。

この重時が書いた『北条重時の家訓』という書籍を数年前に鎌倉の公文堂で買い求めました。といってもこれまで読む機会もなく、そのまま本棚に眠ったままとなっていました。この本は「六波羅殿御家訓」と「極楽寺殿御消息」の二つの家訓が掲載されているのですが、今回は「六波羅殿御家訓」を読みました。巻末の解説によれば、こちらは重時が六波羅探題を辞めるまでに書かれたもののようです。内容は武士の現実生活のなかでの心得が43条に亘り書かれています。重時は鎌倉幕府では執権に次ぐ実力者ですが、この家訓を読む限り、生活は質素で奢ることなく謙虚、そして礼儀を重んじ、我がことより世間の人の目を憚ることを大事としているようです。たぶんこれは長い間朝廷に近いところで仕事をした結果、そこで身に着けた処世法かもしれません。

一例をあげて見ましょう。

人がいる所で唾を吐くときは、口を塞ぎ、人に背を向けて、畳紙(懐紙のようなもの)に吐き入れなさい。唾を遠くに吐くような輩は、人を憚らぬことで悪いことである。

これと似たようなことは最近世界中でよく耳にします。新型コロナ対策で手を洗いましょう。マスクをしましょう。人に迷惑をかけないようにソーシャルディスタンスを保ちましょうなどです。殊に日本人は人に言われるまでもなく、このことを自然と身につけています。800年近く前に書かれた『北条重時の家訓』も同じ、多分それ以前からあり、日本人の心に脈々と受け継がれているものだと思います。自信をもって誇りにしなければいけませんね。

写真は北条重時の墓のある鎌倉極楽寺です。重時とも関係の深い忍性菩薩の開いたお寺です。今年は新型コロナ対策でお参りできませんでしたが、来年4月8日には是非訪れたく、その終息を願っています。

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