この飛瀧神社は熊野那智大社の別宮です。巻頭写真にあるように那智の滝を下から見上げるような場所に祀られています。神社のご由緒と那智の滝について現地案内板よりご紹介しましょう。
その昔、御東征のみぎりこの地に上陸された神倭磐余彦命(かむやまといわれびひこのみこと・神武天皇)が、この御瀧を仰がれ大己貴神を祀られました。のちに飛瀧権現と称され、今は飛瀧神社として熊野那智大社の別宮となっています。俳人高浜虚子は、「神にませばまことうるわし那智の瀧」と詠じています。 この御瀧は、那智山から湧き出る水の流れが、断崖にかかり落下する名瀑であり、国の名勝に指定され世界遺産ともなっています。一段の瀧としては落差日本一で、御瀧の高さは一三三メートル、銚子口の幅は一三メートル、瀧壺の深さは10メートル、平時の水量は毎秒一トンといわれています。 この地には、宇多天皇をはじめ百十余度の御幸があり、花山法皇は千日間の山籠もりをされ、また修験道の開祖とされる役行者の瀧行以来、ここは修験道の場となりました。
熊野三山の象徴といえるのがこの那智の滝ではないかと思います。飛瀧神社の鳥居の前に立つと圧巻です。天上から流れ落ちているのではないかと錯覚する滝の威容、近寄り難く、惧れさえ感じるゴーゴーした音など、神話の世界でなくとも否応なく神の存在を実感させられます。鎌倉時代に遠藤盛遠(文覚上人)が出家後に最初に修業したのが、この那智の滝であり、厳冬期の滝行で危うく死にかけたところを不動明王の眷属である二童子に救われたという話はよく知られています。自ら犯した罪を贖罪するためには、願かけの滝行を成就するしか道はなかったのでしょう。那智の滝を目の前にして文覚上人の心の中を少し垣間見たような気がしました。
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