12月16日(金)。国立劇場に『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』をみにいきました。10月に第一部(大序~四段目)をみましたが、生憎11月の第二部(五段目~七段目)は行けず、今日の第三部(八段目~十一段目)の観劇になったわけです。赤穂浪士の討ち入りは12月14日ですから時期的にはピッタリ。忠臣蔵をみないと年を越せないということでしょうか。満員の館内は熱気に溢れていました。
ところで『仮名手本忠臣蔵』には、劇中に鎌倉とか相模の場所がでてきます。第一部では鶴岡八幡宮。第三部では光明寺となぜか大磯の花水橋。花水橋は大磯宿と平塚宿の境に流れる花水川に架かる橋。近くの高麗山の桜が散り、川面を覆う一面の花びらが美しく、名所だったようです。実際の忠臣蔵の舞台は隅田川に架かる永代橋。光明寺に行く途中なら滑川に架かる鎌倉十橋の一つでも良さそうですが、歌舞伎素人なりに花水橋にした理由を考えてみました。
答えになるか分かりませんが、ヒントは浅野内匠頭の辞世の句にあるのでは?
風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん
この歌の解釈はおまかせするとして、二度と花をみることのない「花見ず」と「花水」をかけたものと思われます。歌舞伎通からみれば何をいまさらという話?かもしれませんが、正解だとすれば、初心者の私にとっては思わぬ発見となりました。
そしてこの歌舞伎。唄方と三味線方が奏でる長唄はなんとも切ないですね。まず八段目の「道行旅路の嫁入」では戸無瀬と小浪の踊りに合せ、しみじみと語られます。そして九段目の「山科閑居の場」では虚無僧姿の本蔵が吹く尺八の音。娘を想う本蔵の気持ちが尺八の音となり、観客の心に沁みわたります。今ほどに娯楽の無かった江戸時代。多くの人たちがこの歌舞伎に夢中になったのも無理ないと思いました。
写真は光明寺。塩冶判官の菩提寺です。
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