人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

熱田蓬莱軒「ひつまぶし」

2018-03-28 14:07:57 | グルメ

3月18日。久しぶりに名古屋に行き、熱田蓬莱軒の「ひつまぶし」(3,600円)を食べました。東京の蒸してから焼くやわらかい鰻も悪くはないのですが、この名古屋風の直焼きのカリカリした触感がたまりません。この蒲焼、殆どの鰻屋さんはうな丼かうな重で出すのですが、この「ひつまぶし」を考案した蓬莱軒の革新性には感服します。はじめはそのまま、二膳目は薬味をのせて、三膳目はお茶漬けで、最後は好きなようと、丁寧に食べ方の解説まで添えられています。これを食べたいがために全国からお客を集めるのですから凄いの一言です。たまたまこの日は日曜で混んでいたのかもしれませんが、正午前に行って14時からの席を確保できました。その間は店の外で待つこともできず、どこかで時間を潰すことになります。幸い熱田神宮まで歩いて15分位。有難く参拝させていただき店に戻りました。

この「ひつまぶし」は名古屋育ちの者にとってはソウルフードの一つ。あとは味噌煮込みうどんときしめん。お茶うけに納屋橋饅頭、きよめ餅、ちょっと贅沢に美濃忠か両口屋の和菓子あれば大いに満たされるという庶民的な食文化です。今回は熱田神宮の境内にあるきよめ茶屋できよめ餅をいただきました。

蓬莱軒は電話での予約は不可。行って店前にいる店員に名前を言わないと登録できません。電話予約ならドタキャンのリスクがありますが、面前で入店可能な時間を告げ、来店意思を確認するのですから、安全ですし、注文の品もほとんど「ひつまぶし」で時間の計算もしやすい。これぞ名古屋人の商売だと感心した次第。2時間の待ち時間も苦になりませんでした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉を知る ーー 大威徳明王坐像 ーー

2018-03-15 21:07:49 | 日記

先日3月11日で金沢文庫で行われていた運慶展が終了しました。この運慶展は東京国立博物館 平成館で昨年の9月26日から11月26日まで開催されていたのに次ぐ催事です。多分もう暫らくは運慶展はないと思われ、金沢文庫まで観に行きました。金沢文庫は神奈川県立の博物館なので65歳以上のシニアは200円で入館できます。東京国立博物館の入場料が1600円と比べるとお得感があります。

さて今回のお目当ては大威徳明王坐像。国博にも展示されていたのですが、ほかの運慶仏が凄すぎてうっかり見落としそうになりました。というのもこの仏像は総高21.3cm、像高19.8cmしかありません。

この仏像は運慶の晩年の作で源頼家や源実朝の養育係を勤めた源氏大弐殿の発願で制作されたと言われています。本来なら六面六手六足で水牛の上に跨った姿で、中尊の大日如来像、脇侍の愛染明王像の三体あったはずですが、辛うじて今の姿で残されました。じっくり観るとまさに運慶作の逸品。小ぶりながら迫力があります。良いものを見せていただきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山阿夫利神社下社とその周辺

2018-03-02 22:17:59 | 日記

大山阿夫利神社下社とその周辺

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうの旅 ーー 阿夫利神社下社 ーー

2018-03-02 21:11:02 | 日記

阿夫利神社下社のある大山は標高1252mのピラミッド型の美しい山です。山頂に神宿ると信じられ、古くから霊山として信仰され、山頂に阿夫利神社上社、中腹に阿夫利神社下社、さらにもう少し降って雨降山(あぶり)大山寺があります。この大山寺は江戸時代までは阿夫利山下社にあったのですが、明治時代の廃仏毀釈により破壊され、現在の地に再興されました。これまでも何度も書きましたが、この廃仏毀釈という行為はどれだけ古来からの文化を破壊したことか・・・。

さて大山阿夫利神社は第10代崇神天皇の頃(紀元前97年)の創建と伝えられていますので、半端なく古いですね、弥生時代でしょうか。大山祇大神、高おかみ神、大雷神の三神が祀られています。鎌倉との関係は源頼朝が刀を奉納したことで知らています。

また源実朝の歌にでてくる八大龍王は阿夫利神社下社の近く、二重の滝にあった龍神堂(八大堂)とかかわりがあったかもしれません。説明では、「奈良時代に、大山寺別当の良弁僧正が大山龍神を感得す。以後、八大龍王と呼び大山の守護神にして雨乞いの本尊」とあります。

  時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王あめやめたまへ

鎌倉時代の吾妻鏡にも相模の国大山寺(当時は神仏習合の寺)の名が数か所でてきますので、当時から知られた場所であったかと思われます。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする