人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

藤沢市宮前の御霊神社

2019-10-03 14:40:13 | 日記

このところ御霊神社の取材が続いていますが、ようやく村岡五ヶ村の総鎮守である宮前の御霊神社の参拝を果たしました。南向きに社殿があると思い、宮前の神戸製鋼所そばの小高い丘をを目指して行ったのですが、なかなか見つかりませんでした。ぐるっとまわり、丘の西側、西向きに建った御霊神社はありました。

御祭神は崇道天皇(光仁天皇第二皇子早良親王)、権五郎景政、葛原(かずらわら)親王、高見王、高望王の五柱ですが、平(村岡)良文 が京都の御霊社の崇道天皇を勧請したのが始めです。そのあと鎌倉権五郎景政が合祀され、北条時頼の時代に桓武天皇の子、孫、ひ孫の三親王も合祀されたとあります。京都の御霊宮(上御霊神社)は桓武天皇の時代、延暦13年(795年)に早良親王の怨霊を鎮めるために建てられました。

桓武天皇の子孫である平(村岡)良文が一族の繁栄を願うために御霊宮を勧請し、時代が下って勇猛な武将である鎌倉権五郎景政が合祀されました。その後、村岡氏が支配した五ヶ村13社に分社され、平安時代から現代に至るまで1000年近く、村の鎮守様として人々に崇敬されてきた訳です。

日本全国、村の鎮守様はどこにでもあり、必ず年1回の例祭が行われ、正月には初詣で老若男女が着飾って出かけます。なぜ廃れずに続くのか、これは1年間、災いが降りかからなかった無事をお礼し、新しい年も無事に過ごせるようにお願いする。やらないことで災いが降りかかるかもしれないリスクを避けたい訳で、まさに日本人のDNAに怨霊の怖さが刷り込まれているに違いないと思います。よく分りませんが、これは信仰や宗教とは別物でしょうね。

 

 

 

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「まさかりが淵」 不思議な場所です・・・

2019-10-02 17:11:19 | 日記

村岡川(宇田川)については、すでに紹介しています。その中流、汲沢三叉路よりまとば橋の手前から川沿いの遊歩道を歩けば、まさかりが淵に着きます。なんとも不思議な名前ですね。滝への入り口に「まさかりが淵の伝説」が書かれた石碑がありました。

今から約200年前のある日、彦八という若い木こりがあやまってまさかりを滝つぼに落としてしまった。滝つぼをのぞくと美しい娘が機を織っており、「あなたのまさかりが滝の魔物を退治してくれた」お礼にと三日間ごちそうになった。帰るとき「私はこの滝の主、私のことを他人に言わないで。言うとあなたの命が無くなります」彦八が家にもどると、三年前に死んだと思っていた家族に問い詰められ娘の話をしてしまい  そのまま死んでしまった。  「かながわのむかし話」より

このむかし話、「金の斧、銀の斧」のイソップの寓話、「浦島太郎」、「鶴の恩返し」などの昔話が思い出されますが、3mほどの落差の滝で結構水量も多いので、伝説はともかく、なかなか見応えがあります。まさかりが淵の周りにはモミジもあり、11月末のシーズンにまた行ってみたくなる場所でした。

なによりもこういった場所が公園として残されているのがいいですね。宇田川を愛する地域の人々の気持ちが伝わってきます。

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村岡川(宇田川)の源流ー中田の御霊神社

2019-10-01 19:55:29 | 日記

中田の御霊神社は横浜市泉区中田にあります。横浜市営地下鉄ブルーラインの中田駅から北へ1.2Kmのところです。たまたま湘南台に行きましたので、小田急で藤沢に出るか、戸塚経由で行くか、迷いましたが、村岡川(宇田川)の源流である御霊神社の最寄駅であることを思い出し、中田駅で下車しました。

境内の由緒をみると、祭神は鎌倉権五郎景政であること、昔から中田のごりょうさまと呼ばれていたこと、弁天池は村岡川(宇田川)の源流になっていることなどが書かれていました。実際はさらに北に行った瀬谷区にも御霊神社はありますが、鎌倉権五郎景政の神徳はこの地までおよんでいました。

もう一つ、村岡川(宇田川)の源流であることです。奥多摩の山々に降った雨が伏流水となり、多摩丘陵から続く相模原台地の端となるこのあたりで泉となって湧き出ているようです。泉区の名前もそこからついたかもしれません。長さ4Km位の短い川ですが、思った以上に水量が豊富なのには驚きました。豊かな水があることは、農業が盛んで古くから多くの人々の暮らしがあり、豊作や地域の安全を願って鎌倉権五郎景政が祭神として祀られたと思われます。

村社(村の鎮守様)となる神社は八幡様や諏訪神社、八坂神社などがありますが、村岡氏の始祖である村岡良文や武勇を誇った鎌倉権五郎景政を祭神として祀り、現在に至るまで崇敬されていることは、鎌倉独特の文化ではないかと興味深く思いました。

 

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