伏見稲荷大社から冊子『大伊奈利』が届きました。その中に井上満郎氏の「稲荷信仰の成り立ち―未来に向けて―」という記事がありました。稲荷信仰については知らないことばかりでしたが、今回、少しその起源を探ることが出来ました。
まず「お塚」のことです。伏見稲荷大社のお塚の数は三ケ峰を中心に万にも及びます。このお塚の数が増えたのは明治から大正にかけてで、商工業の発展に伴うようです。人々の祈りが多様になったせいとも言われています。山中には、青木大神(青木の生命力)・福徳大神(様々な幸福と財物に恵まれる)・火除け大神(日除け等、信仰する人が奉納したお塚があります。
次に稲荷信仰の原点である信仰の始まりについてです。古墳時代の鏡(二神二獣鏡)が稲荷山山頂で発見されており、ここでの信仰は伏見稲荷創建以前からのようです。伏見稲荷の創建は和銅四年(711)で平安京ができる前。創建者は渡来人の秦伊侶具(または「伊侶巨」こちらが有力説)たち。おまつりした場所は稲荷山の三ヶ峰といわれています。この秦氏は、渡来人で朝鮮半島(新羅あたり)から渡来し、日本列島に先進的な文化や文明を伝えました。日本人のルーツを考える時には、この渡来人の存在は無視できませんね。一説では、当時の人口の三分の一くらいが渡来人であったといわれています。どのルートで渡来したかを考えるときに「逆さ世界地図」(富山県作成)が役に立ちます。ユーラシア大陸側から日本列島を鳥瞰した世界地図です。これを見ると日本海は海ではなく大陸の東端にある湖にみえます。大陸と繋がっているようで、そのどこから日本列島に来たかは想像にお任せします。
京都盆地と秦氏の存在については、先日もNHKテレビで京都の西端にある松尾大社(お酒の神様で有名)を紹介していました。水路とか、水を有効に利用する技術を日本にもたらし、それがご縁で酒造業の人たちが信仰する神社になったということです。さらに秦氏は、京都の東南部の深草地区にも根をおろし、この伏見稲荷を中心にして、伏見の酒造業の発展のルーツになっています。京都盆地は水がめの上に台地があるといわれていますが、その東南端にある伏見ではいい水が湧き出ているわけです。
お稲荷さんは、日本全国で三万社ほどあるといわれ、農業や商工業を家業とする人の敷地内や近所には必ず稲荷社があります。これほど日本に根を下ろした神様はいないかもしれません。このルーツが渡来人の秦氏だとすれば、隣国とのいざこざなんて起こらないような気がします。2月になれば初午で大勢の人が伏見稲荷大社や全国のお稲荷さんを参拝します。今年はその起源を思い起こして手打ちしてみてはいかがでしょうか?
写真は、稲荷山の中腹から京都市内を眺めたもの。西の方向に嵐山や松尾大社があります。