人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

明知鉄道沿線の旅 --➀恵那駅--

2023-04-11 19:08:13 | 旅行

今回は親の墓参りのためにJR名古屋駅6:43発の中央線快速に乗り恵那駅まで行きました。恵那駅は明智鉄道の始発駅です。鉄道マニアにとっては結構有名なローカル線らしく、当日も朝早くからそれらしい人が数人乗っていました。私は墓参りが目的なので、それらしい人とは一線を画していましたが、ディーゼル機関車のなんとも言えないエンジン音を聞きますと、やはり血が騒ぎ興奮してしまいました。

帰りも恵那駅で降りましたが、お昼でもあり、駅から見渡しますと五平餅と書かれた看板が目に入りました。ここでも動物的感が働くもので、誘われるようにお店の中に。この店は「あまから」恵那本店で五平餅では結構有名な店らしいです。実際、車で来て何十本も買い求める人が数人いました。この店の五平餅は団子が三つ串に刺されているもので、私が馴染んでいた御幣の形をしたものとは違っていました。明知鉄道沿線の遠山では御幣型なのに恵那では串団子とは、不思議なものです。数年前にNHKの朝ドラ「半分青い」で見た五平餅も串団子型でしたが、同じ岩村の岩村山荘で食べたのは御幣型。その違いがどこからきたのかはよく分かりません。まあどうでもいい講釈はこれくらいにして、一串120円、遠慮して5本いただき、あまからをあとにしました。美味しかったです。

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東海道中膝車 --知立(中京競馬場前)から鳴海--

2023-04-11 14:03:55 | 旅行

「東海道中膝車」シリーズは2020年12月27日に岡崎から知立まで歩いたところで中断していました。全行程を歩いた中で、残りは知立から鳴海までを残すだけ。今回、名鉄中京競馬場前駅の近くの桶狭間古戦場跡に訪れましたので、ついでに鳴海まで歩きました。距離にして3kmくらい。ガイドブックによれば、知立から鳴海までは12.7kmなので残距離数は9kmとなります。生まれ故郷なのでいつでも行けると思うのですが、年を重ねるたびに足は遠のくばかり。果たして次は何時になるでしょうか?元気なうちにチャレンジしたいものです。

この区間の観光名所は有松。有松絞で有名ですね。絞りといえば鳴海絞ですが、近年は有松絞にとってかわられました。街並みも良く保存され、多くの観光客で賑わっています。私が小学生のころにはこれほど街並みが整備されるとは思ってもみませんでしたが、住民の方の意識の違いでしょうか?鳴海の町の寂れかたをみると残念でなりません。オーバーツーリズムを懸念する声もありますが、多くの観光客で賑わい、若いひとが住みやすい街であることにこしたことはありません。

 

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織田信長のゆかりの地 --桶狭間合戦の新説--

2023-04-11 10:55:50 | 旅行

手許に郷土史家太田輝夫氏の書いた冊子『奇計』を置いてこのブログを書いています。4月2日(日)に豊明市の名鉄中京競馬場駅の近くにある桶狭間合戦の地を訪ねました。運よく当日は地元の観光ボランティアの方がパネルを展示してガイドをされていましたので、これ幸いに説明を聞かせていただきました。このガイドさんの解説がなければ、この地を訪ねてもただ写真だけ撮って帰るところでした。

ご存じ桶狭間合戦は永禄三年(1560)5月19日に今川義元が尾張の国に侵攻した際に織田信長に討ち取られるという日本史上での一大イベントです。この合戦の様子は、これまで長い間、旧陸軍参謀本部が明治三一年(1898)に発表し通説になっていた『日本戦史桶狭間役』によっています。書かれた時期は日清戦争(1984)から日露戦争(1904)の間の時期。いわゆる織田信長による一か八かの「迂回奇襲説」です。桶狭間で油断して休息をとる今川義元本陣を風雨のなか奇襲し、見事義元の首を討取るというものです。このシーンはテレビで何回も見ましたので当然の如く信じていました。

実は最近この説にかわり、真実は別のところにあるという新説が登場しています。この太田氏の『奇計』もその一つです。豊明市のガイドの方もこの『奇計』をテキストにしていましたので、かなり信憑性が高いと思われます。この説は「時間差二段階攻撃説」というもので、桶狭間への侵入経路もことなります。先鋒で戦ったのは、佐々隼人正と千秋四郎の隊。佐々隼人は織田信長の旗印(木瓜紋)を持って戦い、これを討取った今川方の先陣をつとめた松井宗信(遠江二俣城主)は佐々らの首を義元のもとに持ちかえり、信長の首を討取ったと報告したとしています。まさに奇計、おとり・替え玉作戦ですね。これに気をよくした義元が戦中にもかかわらず祝宴をしたのではないかというものです。そのあと信長の本体が攻め入り、義元の首が討ち取られ、今川軍は全滅しました。この説の根拠は佐々らの首を持ち帰った松井宗信も義元と同じ場所で討たれ、その墓は桶狭間合戦地の向いにある高徳院にあるというものです。以前から「東海道一の弓とり」といわれた今川義元が戦の最中に休息時に酒を振舞うなんてあるはずがないと思っていました。信長を討取ったと思った義元に心のゆるみが生じ、最悪の事態を招いたとすれば理解できます。信長自身も考え抜いた末の奇計だったのでしょう。この手は一度きりで二度と使えないことは承知していたはずです。

これはなかなかの収穫の一日でした。やはり現地に行ってみないとダメですね。

 

 

 

 

 

 

 

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織田信長のゆかりの地 --鳴海城跡--

2023-04-11 09:07:47 | 旅行

善照寺砦址から西へ向い鳴海小学校を右に見て坂を下れば鳴海城址の着きます。歩いても10分くらいの距離ですが、一方の善照寺砦が織田信長の家臣佐久間信盛が守る砦。この鳴海城は織田信長の父信秀が亡くなったあとに城主であった山口左馬助が今川に寝返った城で、信長は桶狭間の合戦前に丹下砦、善照寺砦、中島砦で囲み兵糧攻めにし、合戦時には岡部元信が死守していました。城の西側には天白川の河口に鳴海潟が広がっています。その先然程遠くない場所には熱田神宮がありますので、織田信長にとっては喉元に刃を突き刺さられたようなもので、気が気ではなかったと思われます。さらにこの鳴海城は落すのに難儀したようで、今川義元が討たれたあとも最後まで抵抗し、最後は今川義元の首と引き換えに城を明け渡したと、手元の資料に書いてありました。

いまは「鳴海城跡公園」になっていますが、名鉄鳴海駅から北に200mほど。手前に鳴子方面に向かう道路が通り、城跡の面影は殆どありません。実際私の記憶も曖昧でした。60年近くたてば記憶が失われるのも仕方ないですね。

 

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織田信長ゆかりの地 --善照寺砦址--

2023-04-09 17:32:22 | 旅行

4月1日エイプリルフールの日に名古屋市緑区鳴海町を訪れ、織田信長が桶狭間の戦いにのぞむに際し、戦況確認のために時を過ごした場所、善照寺砦跡に行きました。歴史の研究が進むにつれ、この砦は桶狭間の戦いにとって重要な場所であると脚光をあびています。前にも紹介しましたが、私が生まれた場所はここから200m位東南方向に行った所。なんとも歴史の舞台の近くで生まれ育ったというのは気分がいいものです。

前置きはともかく、織田信長がどのように桶狭間の合戦で戦ったのかを振り返ってみましょう。信長はその日、熱田神宮に参拝して戦勝祈願しました。それから笠寺観音付近から鳴海潟を渡っています。今は天白川に橋が架かっていますが、当時は潮が満ちると渡れない難所でした。干潮の時間を見極めて早朝に渡ったようです。この鳴海潟については阿仏尼の『十六夜日記』に書かれていますので、ご存じの方も多いと思います。そこから鳴海城の北側にある丹下砦を経由して善照寺に入りました。ここで戦況を見極めます。鷲津砦や丸根砦が今川軍に攻撃され、近くの大高城には松平元康(当時はまだ徳川家康とは名のっていません)がいます。信長は今川義元の本陣の在処を必死に探索していたようです。今川義元の本陣の所在が分かると、善照寺砦を駆け下り、中島砦を経由して坊主山(名鉄左京山駅の西側)を駆け上り、大将ヶ根に進みます。以前の歴史解釈では小勢で攻めたとありますが、実際は二千騎程度の軍勢をようしていたと言われています。少人数ですが、精鋭部隊でかなり周到に準備したことは間違いありません。

私が小学生の頃は集団登校の集結場所が善照寺砦址であり、隊列を組み、鳴海城址の手前にある鳴海小学校まで毎日通学していました。そして自宅に帰れば、2階の屋根に上り、眼下に広がる六田の青田とその先にある坊主山や大高緑地を眺めて過ごしたものです。その当時は桶狭間の戦いのこと等知りませんでしたが、今思えば、その場所を織田信長の軍勢が駆け抜けていき、日本の歴史を変えたかと思うと、不思議な気がします。

ついでながら一言。どうも明治以降の歴史家は「奇跡」という言葉が好きなようで、元寇の時もことさら奇跡の出来事を強調しました。かの大戦で負けたのも神風がまた吹くなど奇跡を信じたせいかと思います。またまたわき道に逸れました。

 

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