木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼、河童に濁流の水飲まされるー17

2007年04月09日 | 一九じいさんのつぶやき
 熱しやすく冷めやすいのが江戸っ子気質だが、河童熱はなかなか冷めなかった。
 先日、実際に河童を見た者は、町中の連中から羨ましがられ、後の見物者の中には鯉が跳ねたのを見て、河童だと思いこむ者も現れた。居酒屋では、河童喧嘩という流行語まで生まれた。酔いにまかせて見たような嘘を言う者と、それを嘘だと決めつける者の間で諍いが起こることだった。
 一月ほど経った頃、河童騒ぎに更に拍車がかかる騒ぎが起こった。
 三代目瀬川菊之丞が、自らの言葉通り河童見物にやってきたのである。
 どこで聞きつけたか、町人娘も菊之丞目当てに繰り出し、河童騒ぎの前はうら寂しかった河原が大盛況の相を呈した。
 火付け盗賊改め長谷川平蔵も自ら姿を現し、騎乗からにらみをきかせた。
「歌舞伎者、今日は見かけは地味だが、中身はご禁制の派手な下着じゃあるめえな」
 平蔵は、わざと荒っぽい口調で菊之丞を威嚇した。
 「いえいえ、お頭、私は見ての通りの河原乞食。そんな余裕はございません。弱い者をいじめないで下さいまし」
 菊之丞が劇中の人物のように言うと、女性見物人の中からどよめきが起こった。
 「千両かせぐ役者が河原乞食なものか。憎いことを言うやつだ。もう一回取り調べてやろうか」
 「あれ、異なことを。ご勘弁下さいましな。長谷川様のお取り調べなどもう一回受けようものなら、菊之丞は怖さのあまり死んでしまいます」
 演劇口調の台詞にまたもやどよめきが起こった。
 見物人を味方につけた菊之丞の顔は言っていることとは逆に余裕があった。
 火付け盗賊改め長官に面と向かって文句を言える者はいなかったが、どよめきは、菊之丞支持のものが圧倒的だったのである。
 機を見るに敏感な平蔵は、またもや自分の名を上げるのに好機とばかりに出張ったが、さすがの平蔵も名女形菊之丞相手の芝居では敵うわけがなかった。不利と見て、後の見張りを部下に託して平蔵は帰って行った。
 それからしばらくは、時がゆるゆると流れていったが、結局、河童は姿を現すことがなかった。菊之丞は、
 「河童がいるなら見てみたいものでごじゃったが、怖い鬼が出てきただけでござりました。残念ですが、また鬼が出る前に去ぬるとしようかえ」
 と、甲高い笑い声を残して、去って行った。