北海道でノンビリと

タブタブの何処かへ行こう を改題しました。
何処かへ行く機会も減ってきたので 北海道を楽しもうと思ったからです

思い出ボロボロ

2016-11-10 22:36:09 | ウォーキング


今日は5度、昨日よりも3度程暖かい。

3度の差は大きい。かなりウォーキング日和だと自分に言い聞かせて家を出た。

車に燃料を入れたり家電店へ行く用事があったので、それを済ませて いよいよ歩きはじめる地点の検討に入った。

自分が昔働いていた職場の近くを通っていた時に今朝の新聞記事を思い出した。
柳町のスケートリンクで滑走している子供達が写っていたのだ。



私もそれを写してみようかと思い車を降りたのだが、何と見るだけでも入場料が70円。アホらしくて入るのをやめ、結果としてこのスケートセンターがウォーキングの起点となった。

日赤病院前の片側三車線の柳町公園大通りは、昔三十間通りと呼ばれていた砂地の道で 輓馬競争も行われたりしていたのだが 今は立派な中央分離帯もある舗装道路に変貌している。



途中ラーメンを食べようと有名店「夏堀」へ入ろうとしたのだが昼食時間は過ぎているのに店の前には人だかり。



何事かと思ったら、今日釧路でジャズのライブをするバンドが記念撮影しているらしい。





この駅裏と呼ばれる一帯は 私の実家があった場所で、小学1.2年時の担任や同級生の家があちらこちらに散らばっている。



元担任とは5年ほど前に逢ったことがあるのだが、奥様を亡くされて少し老けた。
息子さん夫婦と同居しているようだが、表札に名前が載っていると云うことは元気だと云うことなのだろう。

共栄大通りなんて立派な名前が付いている駅裏のメインストリートも 昔は馬糞が転がる未舗装の道だった。



その道を横切り松浦町公園へと向かったのだが、この辺りには エロ本を売っている店があって、その頃は顔を正面向けたまま本の表紙だけでも見たくて目は真横。まるでカメレオンのようになって歩いたものだ。



仲良しこよしだったY子ちゃんの家は いつの間にか違う表札になってしまったが家の前で佇み しばしY子ちゃんの面影を探った。

卒業した小学校の前を通過。ボロい木造の建物は鉄筋に代わっていたが私の頭の中には半世紀が過ぎた今も校歌が消えないで残っている。



中学校も立派になっていたが 私の頃はクラス60人程で14クラスもあり通勤ラッシュにも似たギュウギュウ詰めの教室だった。



昔は 距離があって通うのが大変に思えた通学路も 大人になると とても短く感じるのは何故なのだろう。

この道を逆に何度も歩いて昔に戻れるのなら、頑張って 頑張って毎日でも歩くのにと・・・・ふと思った。

目の前に 黒い大きなランドセルを背負った私が走っているのが見えた。
そして 向こうには「お帰り」と言って手を広げている母の姿があった。