高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

面接

2008年02月02日 11時24分33秒 | 工房

昨日、今年の春に「竹の学校」を卒業予定の「W」君が訓練校の先生に連れられてやってきた。1月の中旬にあらかた私の工房の説明をしておいたのだが、その上で「やってみよう!」と決心した人だけ最終面接をすることにしていた。「現在の工芸をするものにとって、並大抵では生き残って行くことは難しい!」趣旨の話をよくよく聞いた上での決断である。

私の所は随分と山間地なので、バスなどの交通手段が無い。車が無い事には話しにならないので、彼の場合はこれから卒業までに車探しから始めることになった。静岡県から来ている人で、アパートでの一人暮らしである。最初の1年目を考えると、技術が未熟なうちは、収入も微々たる物である。その中から、生活費、車の維持費、ガソリン代など考えると相当厳しいものになると思う。その部分を乗り越えれるか?試練の一年目である。

私の所では、大体3年くらいすると、手取りで15万から20万くらい作れる技術はつく、それと、1年間を通じて、仕事が途切れることが無く作ることに専念できる。しかし、それ以上の収入を得ようとすると、自分の作品を直接販売できる販路を作って行き、中間マージがいらないような方向に持っていくしかない。若い彼などには、これから出会いがあり、結婚して家庭を維持できるような生活力を考えて行かねばならない。物を作る事と販路を作ることは平行して作り上げて行かない事にはダメな時代である。

収入面で厳しい反面、サラリーマンのように束縛されることはないし、人間関係であまり悩まされることは無い。物を作り出せる楽しさはあるし、時間的にも自由が利く、何より、好きな事をして生活できるのであれば、これほど、精神的には幸せな事は無い。

「二つ、良い事はない!」という格言があるが、必ず、物事には2面性がある。どちらの方向から考えるか?で、現在の自分の置かれている立場も随分違った見え方をするものだ。これは、これから、竹細工の世界に入ろうと決心した彼だけの問題でなく、我々にも同じことが言える。私も、23年前、竹細工の門を叩いた時は、「海のものとも、山のものとも」判らないまま入り、最初はその日の食事代を稼ぐのが精一杯からのスタートである。10年後に彼が独立して、竹細工の職人としてやって行けるかどうかは、この苦しい3年間をどう過ごすかに掛かっている。

竹工房オンセ

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