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90年代財政と小泉内閣、今後

2006-07-29 00:34:06 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

◆90年代の財政

プラザ合意による円高不況対策のために日銀は金利を引き下げるが、その結果、資金は土地や株式に流れ、バブルが形成されることになり、今度はインフレを押さえ込むために金利を引き上げ、不動産総量規制がなされると、バブルは崩壊し、資産デフレは加速度的に進むことになる。

バブル崩壊後の80年代後半から始まった長期不況は、失われた10年とさえ呼ばれるようになる。しかし、政府は何もしてこなかったわけではない。積極的に財政支出によって公共事業を行った。景気が悪いのは、需要不足だからであり、その不足分は財政支出によって補えば、景気は回復するというケインズ理論による政策である。

 

 しかし、資産デフレによる不良債権によっていくつもの金融機関(住専、山一、北拓、長銀など)が破綻し、公的資金が数十兆円も注入され、銀行は不良債権を恐れ、貸し渋り・剥がしを行い、企業はリストラや倒産を余儀なくされ、更なる不況に陥った。

橋本内閣時に不況は底を突き、上向くと見られて財政改革が試みられたが、その後のアジア経済危機の影響で金融危機が起こり、後を継いだ小渕内閣時には多額の公共事業が行われ、財政赤字は急速に膨張する。

財政支出の効果が薄れた要因には、所得の一部が輸入品へ向かった、中立命題(国民は公債発行=将来負担と考え消費を控える)、クラウディングアウト(民間投資の押し出し)、さらに短期的な経済対策が非効率な部門を温存させ、長期的には経済効率を低下させた、などが考えられた。政府支出乗数は、74年には2.27であったが98年には1.21まで下がった。結果、90年代以降から約500兆も公債残高は増加した。

 

 一方、アメリカでは冷戦による国防費増加によって財政赤字は増加し、80年代にグラム=ラドマン=ホリングス法が制定され、財政再建を試みるが、貯蓄貸付組合救済のために公的資金が注入され、財政赤字は増加する。90年に上記の修正法である包括財政調整法が成立し、そして93年クリントンが大統領に就任し、財政再建が掲げられた。IT・金融の発達とともに経済は好景気に入り、税収増加と歳出削減により、財政収支は98年には黒字化する(現在はイラク戦争や減税などの理由により大幅な財政赤字に逆戻り)。

◆小泉内閣と今後

小泉内閣は2001年に誕生し、公約として国債発行額を30兆円に抑えると掲げるが、二年目から超える。りそなや足利銀行が経営危機に陥ると再び公的資金が注入された。さらに経済構造が問題だとされ、規制緩和、減税や各種民営化、特殊法人改革、量的緩和策(ゼロ金利水準以上にインターバンク市場に資金を供給)が行われた。

金融機関の不良債権処理、企業のリストラ(過剰人員、過剰債務、過剰在庫の処理)に目処がつくと、景気は回復し始めた。

 

 しかし、長期的視点、一貫性のない経済政策が打ち出された結果、公債残高は、国・地方合わせて約800兆円に至り、第三セクター赤字や年金財源不足まで含めると財政赤字は1000兆円を超えるといわれる。ゼロ金利が解除されたが、長期金利に要注意である。

対外債務がなく、国民資産が1400兆あるというのが救いでもあるが、今後さらに金利が上昇し、資本が流入すると、為替は一挙に円高局面に突入する危険性もある。そして国債の利払い負担も増える。さらに団塊世代の退職が始まると、今後は貯蓄残高も急激に減少し、高齢化は医療費や年金などの社会保障費を増大させる。さらに自治体では財政再建団体(夕張市)になるところが出始めている。今後は、法人税は国際競争力が失われる要因となるので難しいかもしれないが、所得税、消費税の大幅増税と過去に例のないほどの歳出削減へ転換せざるを得ない。地方分権も地方財政の自立という長期的な観点から必須である。

 

 予想される経済の縮小均衡を避けながら、掛け声で終えることなく租税・財政改革、地方分権という真の構造改革を実行していかなればならない。本当の痛みはこれからである。