自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
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乙一『暗いところで待ち合わせ』

2006-07-30 19:49:42 | 小説

乙一『暗いところで待ち合わせ』(幻冬舎文庫)を読んだ。

内容はミステリーである。ものすごく面白かった。『死にぞこないの青』を読んでからすぐ読み始めたのだが、面白くてすぐ読み終わった。ちなみに途中で犯人が誰かわかってしまったが。しかし、飽きさせないストーリー展開に著者の並々ならぬ能力を感じました。


江戸幕府 優秀な大名が存在する一方で・・・

2006-07-30 14:25:29 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

06/7/30

乙一 『死にぞこないの青』(幻冬舎文庫)

を読んだ。内容は、小学校のいじめの話だ。マサオは新学年を向かえ、先生になりたての若い男性がクラスの担任となった。しかし、マサオはそこから先生を中心としたいじめの対象となり、アオという分身を生み出すことになる。

●印象に残った箇所

P.72

 「江戸時代、日本には「えた」や「」と呼ばれる人がいたのだそうだ。彼らは士農工商といった人々よりさらに身分が低く、いろいろな権利が与えらえれなかった。彼らは常に差別されながら生きていかないといけなかったのだ。

 農民の生活もつらく、不満がたまっていた。そういった不満が爆発すると、農民たちは武装して領主の屋敷を攻撃したという。

 でも、「えた」や「」という、農民よりもさらに低い身分の階層をつくることによって、不満を上ではなく、下に向ける。あるいは、自分たちよりももっと地位の低いものたちがいるとして安心させたのだ。つまり、「えた」や「」とは、民衆を支配するため特別に作られた最下級の身分なのだそうだ。

 僕は授業中、そのことを聞いて恐ろしくなった。そして、このようなルールを作らなくては不安を拭い去ることのできない人間、不満を解消できない人間について考えた。どうして世界はこうなっているのだろう。生きていく上でいろいろなことに恐怖し、不安を抱いて、自分を守ろうとする。がたがた震える感情を安心させるために、誰かを笑いものにするんだ。」

―引用終わる―

●確かに幕府安定に身分制度が使われていた。

身分である。

井上三満郎 藤田覚 伊藤之雄 共著『理解しやすい日本史B』(Σベスト文英堂)より  以下引用 P.184より

 「は、社会的に最下層の身分とされた人々。えた・とよばれ、居住地や服装など全てにわたって差別された。えたは、農業にたずさわって年貢を納める者もいたが、牛馬の屍体処理や皮革などの細工仕事を行い不審者の取り締まりや入牢者の監督などを仕事とした。は、清掃や清めに従事し、施し物を受けた。

※注意 えたやの呼称は中世からみられたが、江戸幕府の身分支配のもとで蔑称として全国に広められた。また、貧困や刑罰によりとなるものもあった。」

―引用終わる―

 優秀な大名が存在した徳川江戸幕府の長期政権の裏でこうしたこともあったということを忘れてはならないように思った。

 いじめはナショナリズムという病に近いような気がするのは自分だけでしょうか。ミクロでみるといじめ。この規模がだんだん大きくなっていきマクロでみるとナショナリズム。そんな気がする。ともに相手、犠牲となる存在が必要だから。