自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
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ある経済学博士

2006-10-18 01:25:12 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

あるバングラデシュ人はヴァンダービルト大学で博士号を得た。

彼は2006年度の今年、ある賞を受賞した。ノーべル・・・賞だ。しかも経済学賞ではない。平和賞である。

その人の名は、ムハマド・ユヌス氏。グラミン銀行総裁である。彼の問題意識はこうだった。彼は大学で計量経済学を学んでいたが、果たしてこの経世済民であるはずの学問が現実の途上諸国でどれほど役立っているのか疑念を持つ。

彼は母国バングラデシュに帰国すると2年後に大飢饉に遭遇する。貧しい家庭を訪問して歩くと竹細工の製作・販売で生計を立てている女性グループと出会い材料費の3000円をポケットマネーで貸すことにした。

彼女らは非常に喜んだ。無担保、無利子の3000円に。

これがきっかけでMicro Credit(小額融資)を思いつく。そして今のグラミン銀行があるのだ。

 今日大学の金融機関論という講義で金融・金融システムに詳しい(それもそのはず教授は元日銀マン)教授からこの方の存在を聞いた。

 「昔の日本の農業金融に近いと思う」とおしゃっていたが、これは興味深く調べる価値がありそうな話だと思った。

 関連して、今日の講義では公的金融機関がテーマだっただけにいろいろな話がきけた。ODA、国際協力銀行、JICAの話も出てきた。財投の入り口である郵貯・簡保の金が財務省・国会を通り、出口の政策金融機関へと向かうという説明を受けた。

 小泉元首相はまずこの入り口である郵政3事業(ちなみにそれるが教授は、郵便は民営化をするべきではないとした)を民営化するために2005年国民に問うた。これは個別のテーマに対する国民投票が日本の憲法にはなかったから仕方ない。

 そしてうまくいった(総選挙で圧勝した)ために出口の政策金融機関にまで改革に着手し、統合・民営化がきまった。何かがうまくいくとさらに力学が働き弾みがつく。  

 市場を通さない資金調達のために潰れるという危機感を持たず、郵貯・簡保・年金基金の金が投入され、いざ貯金者・年金納入者に返せなくなったら税金で補えばよいという考えがこの金融部門には跋扈していたからだ。

 ちなみにある途上国の決済システムをつくるために出向というかたちで国際協力銀行にいった経験をその教授は持っていて、この業界はドロドロだ、ということを教わった。

 ODA(オフィシャル・デヴェロプメント・アシスタンシー)、政府開発援助というと途上国を支援するための重要な機関、日本というGDP世界第二位の国が途上国を支援するための重要機関というように思っている人が多いと思う。

 だがどろどろ、実情は。

 プロジェクトベースで融資されるが、日本のODAプロジェクトで返済してもらった事業など超珍しいというか、ないに等しい。これも問題だ。

 そのプロジェクトは国の決済システム構築プロジェクトだった。まずハードPCとそれに組み込むソフトが必要になる。そのためにレントシーキングが蔓延するのだ。特に商社、どこから聞いたのか知らないが、わけの分からない業者が接触(接待の連絡)してきたそうだ。

 また最初は対象国もやる気満々で望むらしいが、2年も経つと賄賂付けで英語はうまくなるが、悪い方向へ悪い方向へと流れてしまうらしい。

 ルワンダ銀行総裁として乗り込んだ服部正也氏の本を読んだことがあるだけに全部ではないだろうが、実態を自分の脚を使って把握しないと、より歪んだ状態が定着してしまうことに注意が必要だ。開発独裁、共産圏、社会主義政権から資本主義、民主主義政権へ移行して間もないような国ではより気をつけなくてはならない。不幸になるのはその国の食べるにも苦労する農村部、地方の人々だ。

 日本のODAは日本の国内企業の利権になっている。(再度全プロジェクトがそうとは言わない)。途中で誰かのポケットにもいくらか入っているか、接待を受けて美味しい思いをしている人がいるとおもったほうが良い。

 このグラミン銀行総裁ムハマド・ユヌス氏は、「貧しさは不幸」だと感じたままに力になれないかと純粋な問題意識からはじめたと思うが、歴史に名を刻んだ。こうした英知をなんとかさらに途上国各国に広めることができないかと思う。