自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
哲学・ビジネス・雑記・洒落物など等

クラッシュ

2009-06-05 22:46:44 | 映画

泣ける映画

やるせないけど。

黒人に車を奪われそうになった白人女性の家の鍵を直していたら、むちゃくちゃくな差別発言を受けて、でも起こらず我慢して、帰ったら、その男の娘が、銃声が聞こえて怖いからと、ベッドの下に隠れていた。帰ってきた父であるその男は、その娘に、妖精の話を聞かせてあげる。そう、この男にとって、どんなにつらくても我慢できる理由は、この可愛い娘がいるから。

パパは5歳の時、妖精と出会った。背中に羽の生えた妖精は、パパに透明のマントを着せてくれた。マントは、何も通さない。銃の弾も。パパは、そのマントがあったおかげで、こうして生きて無事生きてこれたんだよ。このはなし、信じるかい?

パパは妖精と約束した。娘が5歳になったら、娘に着せてあげると。パパは、黙って、娘にこの話を信じないんなら、いいよっ。とうまくもったいぶりながら、娘がベッドから出てきてくれるのを待って、出てきたら、静かにベッドに座らせて、自分にかかっている透明のマントをゆっくり静かに娘にかけてあげた。

ロスアンゼルス。差別が差別を呼び人が死ぬような重大な問題につながる。だが、一方で、フェアでありたいと思う人間もいて、最悪な不幸を寸でのところで食い止める。振り上げたけん銃やこぶしは奇跡がないと止められないのか。それともそれも人間がなせることなのか。

通さないマントはあったのだ。

この映画を書いた脚本家は、人間に幻滅しながらもどこかでまだその人間を信じたい。そんな思いを持っている人間なのだろう。

・・・なんか、やるせなくて、泣けた。