白石一文『この世の全部を敵に回して』(小学館文庫)より 以降簡略化しています
ある資産家の女子中学生は、少し鈍くさくて、クラスの男女からいじめを受けていた。
あるとき、その女子中学生の妹が、異常性欲者に誘拐されてしまい、身代金を要求された。
そして、両親は大金の鞄を持ちながら、犯人からの電話にひっぱりまわされるが、警察に感づかれ、接触なく、その後女の子は遺体で発見。
焼香を終えて外を出ると、友の一人が、こう言った、「もうあいつをからかうのはよすよ。」
まわりも暗黙の了解に似た雰囲気になった。
で、それを聞いた「私」は吐き気を覚えたという。
なぜか?
苛めから解放された理由が、異常性欲者によって妹が殺されたからということになってしまうのだ。言い換えれば、犯人がこの女子中学生をいじめから救ったことになり得てしまうのだ。
これではやるせない。だが、俗世間というなの怪物(あるクラスのあるグループと言ってもいいかもしれない)はこういうことに案外気づかない。
この恐ろしい理屈、違和感を感じる人も多いかもしれないが、気を付けなければなるまい。「友の一人」になってしまっている可能性は大いにある。自戒を込めて。