田村家の向かい側に教会があります。
明治44年、この場所に田村家が旧福生郵便局を開設した時の建物で、今は教会として使われているようです。
この日は天気が良かったので、玉川上水の宿橋(しゅくばし)に向かって歩いてみることにしました。
道路の端に『井戸端』と彫られた石が立っていました。
昔の井戸が保存されているのだろうと思いました。
宿橋という名前から、このあたりが旧福生村で栄えていた場所であることがわかるようです。
上流を見ています。
左側のこんもりとした緑が田村酒造場のお屋敷です。
田村酒造場の通用門の前が広くなっていますが、昔、玉川上水に船を通した時の河岸の跡です。
石垣の上に細長い筒が見えますが、この部分が玉川上水から水を引き込んでいる田村分水の取水口です。
コンクリートの橋のようなものは堰として使われていました。
玉川上水の水深が浅いのでカルガモが寛いでいました。
宿橋から『ヤマジュウ田村家』の方角を見ていますが、こちらの奥多摩街道からは、一方通行の出口なので車で入ることはできません。
明治44年、この場所に田村家が旧福生郵便局を開設した時の建物で、今は教会として使われているようです。
この日は天気が良かったので、玉川上水の宿橋(しゅくばし)に向かって歩いてみることにしました。
道路の端に『井戸端』と彫られた石が立っていました。
昔の井戸が保存されているのだろうと思いました。
宿橋という名前から、このあたりが旧福生村で栄えていた場所であることがわかるようです。
上流を見ています。
左側のこんもりとした緑が田村酒造場のお屋敷です。
田村酒造場の通用門の前が広くなっていますが、昔、玉川上水に船を通した時の河岸の跡です。
石垣の上に細長い筒が見えますが、この部分が玉川上水から水を引き込んでいる田村分水の取水口です。
コンクリートの橋のようなものは堰として使われていました。
玉川上水の水深が浅いのでカルガモが寛いでいました。
宿橋から『ヤマジュウ田村家』の方角を見ていますが、こちらの奥多摩街道からは、一方通行の出口なので車で入ることはできません。