硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

なんだか・・・。

2012-11-28 16:48:28 | 日記
この間「死」について記した後、従兄弟の父の訃報が届いた。思わず絶句してしまった。

葬儀に参列し、改めて考えたのだけれど、「死」とは、そこに至るまでの過程がどうであったかが大切なのかなと思った。

「死んだらしまいだなぁ」という言葉を聞いたけれど、それも正直分からない。

しかし、もし、死んでしまって「無」になるのだとしたら、葬儀はいらなくなってしまう。

死者を弔うことは、魂を送ることである。それは「どこへ」という問いに繋がる。

仏の元へ。神のもとへ。表現は様々であるけれど、弔うという行為を執り行うのは私たちの奥深くにある何かが「その行為を必要としている」と思っているからではないでしょうか。

もちろん、思い込みかもしれないが、多くの人がそれを「必要」としてるし、残った者の気持ちの整理という、部分にも大きく関与していることは間違いなさそう。

真実は分からないけれど、私達は間違いなく死に向かって歩みを進めている事だけは事実である。