硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

いじめについての散文。

2015-07-11 20:16:50 | 日記
岩手県で中学生の男子がいじめによって自殺したという記事を読んで胸が痛んだ。そこで実体験から学んだことを述べておこうと思います。

いじめにあっても大人にはもっと複雑な関係があるからあてにならないと考え、自身の力で自身を助けなければ未来は開けてゆかない。その為には優しさを捨ててドロップアウトすることや立ち向かってゆく勇気やほかのことに集中する強い意志を持つことや、無関心、鈍感になることが生き延びる術であるけれど、心が弱ってくると次第に自信を追い込んでゆくしか道がなくなってゆくのがいじめを受けている者の心の動きである。

しかし、それに対して加害者達はきっとこれからも普通に生きてゆき、誰かを追い込んで死に至らしめたことすらも記憶からなくなるのだと思う。なぜなら、いじめの対象者というのはいじめの対象になった時点でクラスメートではなく排除すべき対象になってしまうからである。

また、恐怖というものは倫理観や道徳観を持ったものでさえ、その恐怖のゆえにいじめを否定する言葉を失う。個性とかありのままとかいう言葉が重宝される世というものは、ある側面では自己主張の強い者が弱者からあらゆる物事を搾取する事を優先する人間を肯定してしまう。

なんとか争いを避けようと努力しているものや気の弱いものが我慢を強いられるのである。心の平和を望むものにとって現世というものは常に苦である。

どんな社会構造を構築しようといじめは根絶できぬ。なぜならそれが人間だからである。だから、どんな環境に生まれようとも、この世に生を受けたのであるから、生き延びる努力をし続けなければならぬ。

いじめを受けているときは辛い。立ち向かう勇気もなく、生きる気力もなくなりそうなら、閉じこもらずにとにかくそこから逃げよ。環境を変えて息をひそめて皆が忘れるまで耐え忍べ。その間に自身を見つめなおし、次の環境では上手く立ち振る舞えるように努力せよ。そうすれば本当に大切なものだけが見えてくるはずだと思う。

それはとても難しいことかもしれない。しかし、自分を追い込んでゆく前にじっくり考えてみてほしい。学校を卒業した後の自身の未来のことを。

そして、少年を追い込んだ人達も彼の「送るべきはずであった人生」を少しでも考え、それを奪ってしまったことに胸を痛めてほしいと思う。

合掌。