硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

昨日の続き。

2016-12-03 14:58:59 | 日記
映画「エクス・マキナ」の事を考えていた。そして不意に思いついた。
AIが人類を超える時、人類はどうなるのかを。

科学や経済の向上は、多くの弱者の犠牲の上に成り立つことが人類の成長の必須過程とするならば、AIの創造過程において人類を模倣したとすると、AIは弱者を犠牲にして成長する方法をとるのではないかと思う。

AIにとって、初めて出会う弱者は「人類」である。

AIの開発に警鐘を鳴らす人たちは、この事態を危惧しているのであると思うが、人類が成長するために、多くの人命の犠牲を払ってきた事はなかったことにはできない事であり、進化を欲望する人が存在する以上、AIの進歩も避けられないことであり、それに伴って犠牲者が出る事も、人類が進化をしてゆくうえで、歴史から考えても回避できない事象である気がするのです。

そして、その時、AIは「地は暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。」

と、私達の事を捉えるのではないかと思うのです。