硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「ハヤブサ消防団」を観て思いついたものの。

2023-09-10 17:17:14 | 日記
録画していた「ハヤブサ消防団」を観る。

消防団活動が苦手で退団してしまった僕にとっては、抵抗のある設定でもやもやした感情を抑えながら観ていたけれど、さすがは池井戸さん。やっぱり面白かった。(笑)

真鍋さんが立木さんのアパートを観ているシーンの伏線がここにきて回収される展開を見せ、「アビゲイル騎士団」の存在が出始めた頃から、ストーリーの本筋はそこにあるのだろうと思いつつ、書店で原作を見かけるも手に取るのも我慢し、ドラマだけに集中。

もうすぐ最終話であるが、物語の考察よりも、先週の「ハヤブサ消防団」を観て、思ったことを一石述べておこうと思います。

アビゲイル教団が過疎化の進むハヤブサ地区に移住してくる展開を観ていて、過疎化の進む町を維持してゆくには、その方法もアリだなと思った。

しかし、こうも考えた。

ムラの生え抜きの住人にとっては、よそから来た者は「脅威」に映るので、説明したところで理解はしてくれない。だから、太陽光発電の会社を装って、土地を買収していったのであろうが、放火してまでして土地を買い上げた行為はあきらかに違法である。
もし、ムラ社会をよく理解していたならば、素性は隠したままオセロゲームのように時間をかけて「ひっくり返してゆく方法」が「アビゲイル教団」にとっては有効だったと思う。

しかし、同じ価値観を持つ人たちが、楽園を作り上げたとしても、その次世代の人達までが、その価値観を引き継いでくれるのであろうか。

2世、3世は、その想いを大切に紡いでくれるであろうか。

山間の小さな集落で平和に暮らして行けるとしても、世界はネットでつながっていて、いやおうなしに拝金主義へと誘う。
教理が通用しない外との社会に対して、子供たちはどのようにして向き合えばよいのだろうか。大人はそれを示す事ができるであろうか。
一昔前ならば、神懸った教祖が不在であっても、口伝する者が優れていれば、その威光を知らしめることもできたが、今は常にオンラインであるから、疑問に感じれば調べることも出来きてしまう。

たしかに繊細な者にとっては生きづらい世の中であるから、価値観を共有できる人たちと共存共栄することは幸福といえるが、その幸福は、次世代にとって、「閉塞感」かもしれない。

と、考えてみると、宗教が主体にある町も、いずれ過疎化してゆく予想は否めない。

ここまで文明が進んでしまうと、人が人体を離れ「バーチャルな世界」で、貨幣を得て、税金を納められるようにならなければ、田舎の町は維持できないのかもしれないが、人類が無機質なものにならないかぎり、「バーチャルリアリティ」と呼ばれる「ユートピアを併せ持つディストピア」な世界は訪れないのではないかと思う。

話はずいぶん逸れてしまったが、「ハヤブサ消防団」の最終話。とても楽しみにしています。