昨日の朝刊の記事の中に、「こんなことができてしまうのか」と驚いた事件があった。
それは、東京のお寺の住職さんが、墓石業者に殺害されたという事件。
住職さんはお寺に隣接する霊園を在来仏教を信仰している人の為に考えていたのであるが、墓石業者さんは、宗派不問としたかったようである。
現時点での理由は、業者さんが霊園の販売や管理を行っていて、在来仏教に絞ってしまうと、「売りたいものが売れにくい」からと考えられている。
たしかに現在の霊園は、購入者の多種多様な要望に応えるために宗派不問とするところも増えてきているし、どちらかといえば、無宗教者の多い日本では一つの宗教宗派に拘る理由も希薄になりつつある。
その事象は、宗教がなかった頃への原点回帰といえるかもしれない。
しかし、なぜ、僧侶の命を奪ってまでも、利益を得たかったのであろうか。
ニュースや記事から推測すると、初動から不完全であり、逮捕されるのは時間の問題であった。加害者が犯行がばれないようにと考え抜いた末の犯行だったとしても、逮捕された時のリスクを考えることができたら、損失の方が大きすぎると気づけたはずである。
しかし、思考は目先の利益にフォーカスされていた。
思考の構造は、回転寿司でいたずらをする子供たちと同じであった。
犯行は積もり積もった苛立ちの末と思われるが、根本的な動機は、目先のお金の方が仏教という思想よりも尊く、命よりも重いと思ったからなのだと思うが、それは、動画がバズることが何よりも大切と考えるのと同じであると思う。
そして、それが、社会経験を積んできた初老の域に入っている人の考え方であるのが驚きであった。
お金を集めるために宗教を利用する事は、いつの時代にでも見られる事象であるけれども、「神や仏などいない」「お金が神であり私が仏である」というような浅ましい野心がないと、人を殺めたり、騙したりできないのではないかと思う。
私達は、宗教は「お金や権力」とは別次元の思想である事を忘れてしまっているように思う。
それは、東京のお寺の住職さんが、墓石業者に殺害されたという事件。
住職さんはお寺に隣接する霊園を在来仏教を信仰している人の為に考えていたのであるが、墓石業者さんは、宗派不問としたかったようである。
現時点での理由は、業者さんが霊園の販売や管理を行っていて、在来仏教に絞ってしまうと、「売りたいものが売れにくい」からと考えられている。
たしかに現在の霊園は、購入者の多種多様な要望に応えるために宗派不問とするところも増えてきているし、どちらかといえば、無宗教者の多い日本では一つの宗教宗派に拘る理由も希薄になりつつある。
その事象は、宗教がなかった頃への原点回帰といえるかもしれない。
しかし、なぜ、僧侶の命を奪ってまでも、利益を得たかったのであろうか。
ニュースや記事から推測すると、初動から不完全であり、逮捕されるのは時間の問題であった。加害者が犯行がばれないようにと考え抜いた末の犯行だったとしても、逮捕された時のリスクを考えることができたら、損失の方が大きすぎると気づけたはずである。
しかし、思考は目先の利益にフォーカスされていた。
思考の構造は、回転寿司でいたずらをする子供たちと同じであった。
犯行は積もり積もった苛立ちの末と思われるが、根本的な動機は、目先のお金の方が仏教という思想よりも尊く、命よりも重いと思ったからなのだと思うが、それは、動画がバズることが何よりも大切と考えるのと同じであると思う。
そして、それが、社会経験を積んできた初老の域に入っている人の考え方であるのが驚きであった。
お金を集めるために宗教を利用する事は、いつの時代にでも見られる事象であるけれども、「神や仏などいない」「お金が神であり私が仏である」というような浅ましい野心がないと、人を殺めたり、騙したりできないのではないかと思う。
私達は、宗教は「お金や権力」とは別次元の思想である事を忘れてしまっているように思う。