ようこそ、卯月です。
カウンセリング行ってきました。
なんで倒れちゃったんだろう、と言う私に、先生は「いろんな重圧でがんじがらめになっててつらかったんでしょう。意識がなくなるというのは、現実から逃れるということだから」と言った。
「ふつうの人は、ストレスが重なっても倒れたりしないよね。なんで私は…」と言うと、「ふつうはストレスを逃れたりすり抜けたりするものです。あなたは真正面からぶつかっていくでしょう?」って。
また倒れちゃいそうでこわいよ、と言ったら「大丈夫。完全にコントロールを失ってはいない。あなたは自分でなんとかできる。そう思っていますよ」と言われた。
「あなたは大丈夫」という言葉は、私への信頼なのだろうけど、私は自分が突き放された気がして、「大丈夫なんかじゃないよ、こわいよう、助けてよう」と泣き喚きたい衝動に駆られた。
カウンセリングを終えて先生が部屋を出て行くのを見て、寂しくなって、私はそのまま部屋のドアを閉めて立てこもろうとした。すぐ先生が駆けつけてドアに滑り込んできた。
「何をやってるんですか」って怒られると思ったけど、先生は怒らずにやさしく話しかけてきてくださった。「怒らないの?」と聞いたら、「あなたが大変なのはわかっていますから」と言ってくれた。
「わかっていますから」という言葉が胸にしみた。
こんな気分のまま刃物を買いに行くのはまずいかも、と思いながらも、パン切り包丁を買う予定だったので、デパートの包丁の売り場に行った。
ああ、やっぱり果物ナイフとかを一緒に買っちゃったよ。しかも折りたためるやつ。当分これを持つことになるのか。不安定な自分になすすべもない。
それから、先週買おうかなと思いつつガマンしたクマさんの小さなぬいぐるみが、今週も私を見ていたので、今日は連れて帰ろうと思って買った。
こげ茶色の、もふもふしたクマさん。
帰って、その子と一緒に眠った。
夜の9時に起きて長瀬くんのドラマを観て、ご飯をあっためて食べた。
夕ご飯は、デパ地下のヒレカツ。
仕事しようと思ってたのに、今日も全然できなかった。
「女手ひとつで子ども2人を育てるのがどれほど大変か」と先生は私に言った。
「女手ひとつじゃないよ。夫が亡くなったとき、息子が15歳、娘は10歳。もう大きかったから、大変じゃないよ。小さい子だったら大変だろうけど」
「子どもが大きくなればなるほど、大変なこともあるでしょう。どうにもならないんじゃないかと思って心配したときもあったけど、よくここまで頑張ってきましたね」
女手ひとつ、という言葉を私は自分にあてはめて考えたことはなかったんだけど、娘もこの間、その言葉を使った。
「Aちゃんはmixiのプロフィールに『尊敬する人 お母さん』って書いたんだって。うちじゃ考えられないよね~」と私が言ったら、娘は真顔で「そんなことないよ。私だってお母さんを尊敬してる」と言ったのだ。
「だって家事はしないし、ぐーたら寝てばっかりだし、尊敬するところないじゃん?」と言うと、「働き者で頭がいい。みんなのできないような仕事をしてるでしょう。それに、女手ひとつで子どもを育ててくれたし」と言った。
娘がそんなふうに見ているとは思ってもみなかったから驚いた。だらしなくて心配ばかりかける困った母親だと思ってるだろうと思っていたから。
子どもに尊敬されてうれしい、と言うより、「こんなふうに思ってくれてる子どもをがっかりさせちゃいけない、悲しませちゃいけない」と身の引き締まる想いだった。
やっぱり果物ナイフの出番はあっちゃいけないな。
明日こそ仕事をがんばろう。
お盆の間、少しは事務所が休みになると思ってたんだけど、社長さんから一向にそれっぽい話は出ないし、来週の予定もしっかり入ってるし、このままじゃお休みなさそうだあ。
ま、休みがあればその分、稼ぎが減るわけだから、休みのないのはありがたいとも言えよう。
じゃあまた明日ね。
長々ごめんなさい。おやすみなさい。