お世話になってるカウンセラーさんが昔、言ってた言葉。「人は人によって傷つけられる。でも、人を癒すことができるのもまた、人なんだと思う」
一昨日の土曜日、いつものクリニックに行ってきた。心に渦巻いてる「怒り」の感情を、どうにもできずにいる、と訴えた。とにかくイライラがおさまらないので、薬を増やしてもらった。
「私は多分、人に対して要求が大きいんだと思う。言えないことを察してほしいと期待してしまう。どうしてこんなに人に要求してしまうんだろう?」と言ったら、先生が「『察してほしい』っていうのは、もともとは赤ちゃんの頃にみんなもってるものだよね。赤ちゃんは泣くしかできないから、親がいろいろ察してあげないといけない。小さいときに親に十分に察してもらえなかったから、その気持ちが今でも残ってるのかな」と言ってくれた。
私「親も含め、過ぎてしまったことに対して、今、噴き出している感情、理不尽に傷つけられたという恨みや怒りを、どうしたらいい?」
先生「やっぱり口に出して言うことかな」
私「どこで言えばいいの」
先生「私なりA先生(カウンセラーさん)なりにかな。ここで言っていい。私が聞きますから」
先週、外で一時的に意識が飛んで倒れたこと、朝起きたら口に飴が入っていたり全然記憶がないのに何か食べてる形跡があること、なども聞いてもらった。
「人間は極度のストレスにさらされると意識を失うようにできているからね。それほどつらい状態なんだということですね」
と言ってもらって、最後に「大変でしたね」と言ってもらった。
前夜1時間半ぐらいしか睡眠がとれていなかったので、どうしようかなと思ったのだけど、薬をもらうまで時間をつぶし(自分への誕生日プレゼントにドクロ?の指輪を買っちゃった)、薬をもらった後、ものすごく久しぶりに、不登校の親の会の場所に行った。
じつは、親の会の世話人のNさんに、「気持ちがものすごく荒んでいる。こんな人間不信のまま、自分の運命を呪ったまま、誕生日を迎えるのが辛くて耐えられないのでNさんと話をしたい」と前もってメールをしていた。
「5時まで集まりがあるから、いつもの場所(Nさんがみんなの場所として買ったところ)にいるよ。終わった後でもいいから来られたらおいで」と言ってもらっていた。
夕方5時過ぎに行って、そこに残っていたYさんというNさんの古くからのお友達(私の1歳下で母子家庭で子どもたちの歳も近い。おまけにうつ病で休職中で治療のために通ってるクリニックが私と一緒のところ!!)と、結局夜中の12時まで喋ってしまった。
夕ご飯はYさんが冷し中華を作ってくれて、一緒に食べた。Nさんの手作りの林檎の甘く煮たものや温野菜などもいただいた(Nさんがお土産まで持たせてくださった)。
6時間以上も、何を話したのだろう。なんだかとにかく、食べたり話したり泣いたり笑ったり、ものすごい時間だった。
初めてのYさんともすごく素直に喋れて、盛り上がった。
なんだかその中で、自分が人間であるという感じがつかめた。
ネットの世界にばかりいて、ネットの世界は広いと思ってたけど、私の見ていたネット世界はとても狭かった。
そして生身の人間との触れ合いって、なんか忘れてた。
傷つくばかりで「もう友達なんかいらない。一人でいい」と思ってたけど、やっぱり寂しかった。
NさんYさんと接していて、世界中のみんなが私を傷つけているわけではないのだ、という現実を知った。
「プロの聞き手以外には、もはや私を救うことはできないんじゃないか」と迷った末に訪問したのだけど、もちろんプロの先生にはいっぱい助けてもらってるんだけど、なんか「家族的なもの」に包まれた時間だった。
そこにいて、私はこんな人なんだ、という、なんだか自分の全体イメージみたいなのが見えた気がした。
キャラでない、素の私。
そしてその私というのは、思ったより悪いやつではない気がした。
夜中、Yさんが駅までクルマで送ってくれた。駅に着いて、彼女は普通な感じで「私、15分ぐらいここにいるから」と言った。
「え?」と振り向くと、「だからもし、電車がなかったらクルマに戻ってきて。おうちのほうまで送るよ。しばらくここで待ってるから」と、本当に普通に言った。涙がでそうだった。
幸い電車はまだあって、子どもたちにコンビニで夕ご飯(スミマセン、自分は夕ご飯食べたのに、子どもはほったらかしで。まさか夜中になる予定ではなかったので。そして冷蔵庫をあさって何か自分で食べる、というふうに日頃からしつけ(?)ていないので)とお詫びのしるし(子どもたちへの)のお菓子を山ほど買って帰った。
「本当にゴメンなさい!!」と謝る私に、子どもたち「たまには息抜きも必要だよ。いつも私たちのためにいろいろしてくれてるんだから、たまに遅くなったっていいじゃない」と言ってくれた。
翌日(昨日)は、とにかくぶっ通しで一日寝続けた。
なんだろう、死なないでよかった。
素直な気持ちで誕生日を迎えられそうな気がしている。
いろんな人に傷つけられたけど、いろんな人に支えてもらって、今がある。
ありがとう。