今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

ものすごく長い愚痴&身の上話。

2011-06-28 20:42:09 | タラの日記

明け方眠りについて、朝の9時半に電話で起こされた。
銀行から。
家を売った直後から「資産運用について」といろいろしつこくされてて、たまに支店に行ったりしてた(だって家まで来ちゃうから)のだけど、2名いた担当者のうち1名が異動になったとのことで、先週その新しい担当者から「ご挨拶したいのでご来店ください」と言われて、「今、体調がよくないので」と断ったのだった。
今朝はもう1人の女性のほうの担当者からの電話で「今回、異動がありまして、新しい担当の者が是非ご挨拶をと言っているので」というので、「そのお話はこの間お聞きしましたが、今、体調が悪いのでと申し上げたのですが」と返すと、
彼女「熱中症ですか?」(←は?) 
私「違います」
彼女「え、じゃあどこが悪いんですか?」
私(去年「うつ病だから仕事を辞めて家を売却した」と言ったじゃん!と思いながら「うつが悪くなって」
彼女「何があったんですか?」
私「何もありませんが。失礼します」
…って会話だったのだけど、「あんたと私はお友達なのかい?」って感じでしょ。
なんで銀行の人にそこまで聞かれなくちゃならないのって。
どこが悪いか言ったら治してくれるのか?
とても気分の悪い朝だった。

昼間、TSUTAYAから借りたドラマDVD「Mouther」の3枚目(第5・6話)を見た。
1枚目から泣きながら見てたんだけど、本当に胸にぐっと来るドラマだ。
芦田愛菜ちゃんもものすごく可愛くて健気だし、松雪泰子もいい。
でも、私が一番、切ないほど感情移入してるのは、松雪泰子さんの実母役の田中裕子さん。
どんな事情で実の娘を捨てたのか、まだわからない段階なんだけど、それにしても哀しいほどの娘への愛を、黙っているがゆえに余計に、痛々しいほどに感じる。
高畑淳子さんの直球の愛情もすごい(じつは私はこの人のファンなんです。月9にも出てたよね。もう大好き!)。
松雪泰子が演じる「奈緒」さんは、実母に捨てられるというものすごい辛い体験をしたし、その深い傷は消えないものなのかもしれないけど、でもなんだか私から見たら、こんなに深い愛を持ってくれてる2人の母親がいることが羨ましい。

で、2枚送られてきたもう1枚を、てっきり続きだと思って出してみたら5枚目(第9と最終話)じゃないすか!
まとめてリストに入れた私が悪かったんだけど、4枚目だって在庫100%なんだし、なんでそこをすっ飛ばして5枚目が先に届くかな。
もう~、TSUTAYAちゃんキライ!

なんか、父と喧嘩したなあって、急に思い出した。
父と初めて口をきいたのは、姉の結婚式の帰り(私は18歳)だったと記憶している。
生まれてからずっと一緒に暮らしてたけど、父の目には姉しか見えてないみたいで、私はどうやら18歳まで透明人間だったらしい(母にはいつも怒鳴り散らされてたから、母の目には見えたのね、なぜか)。
私は私に何の関心も持たずに父娘関係18年分をドブに捨て続けた父を父とは思っていなかったので、関わり合いたくなかったが、姉が出て行って3人になってしまうと、何かと話しかけられた。
社会人になってから一人暮らしをするまでの2年ぐらいの間、父と何度か怒鳴りあいの大喧嘩をした(そのたびに母が泣いたり翌日になって母が高熱を出したりしてたので、加減はしていたのだけど)。
姉に言うと「パパにそんな口をたたくなんて信じられない~! 私には一生できない!」と言ってたけど、私にとっては恩も何も感じない相手だった(食べさせてもらった、学費も出してもらった、と思えば恩知らずなんだろうけど、お金さえあれば子どもは育つと??)ので、何の遠慮もためらいもなく、思ったことはすべて(過去のことは言ったことない。そのときのことだけだ)ぶつけた。
言い負かされて泣いたなんてことは1度もない。父をこわいと思ったこともない。
姉は父に溺愛されて育ち、父を尊敬しまくっていたけど、私にとって父はただの同居人のオッサン、エリートだったとかイケメンだったとかはどうでもいい、誇りに思ったこともない、そういう人だった。
父は5年前に亡くなっている。

子どものころ「パパは私をいらないんだな」と胸に刻んだ。期待しないと誓った。
それでも心の奥でずうっと恨んでいた。
今は父を恨んでいない。
多分、30年前に大喧嘩した記憶が、今、なんとなく思い出になっているからなのだろう。

母とはやり合えないので(母は私を支配し続け、私はいまだに母のことはこわい)、父にぶつけたようにはできない。
父への恨みは自覚があったが、感情的に娘を振り回し、脅し、威圧し、時に泣き落としという手を使う母に、不思議なことに私は「愛されて育った」と30代で初めてカウンセリングを受けるまで、信じて疑わなかった。
父の、子どもながらにもわかる明らかな否定に比べて、母の支配は「あなたのため」という名目に隠れていて、ずうっと私は気づかなかった。
母自身、今も気づいていないと思う。

母との関係が、これまでも今も、私の人生に暗い影を落としている。っていうか、いろんな場面での私のあり方の問題はどんどん広がってる気がして、母のことをきちんと整理しないといつまでも自分がぐらぐらし続けるということはわかっている。

姉は、ちゃんと(?)ものすごい反抗期をとおって未成年での喫煙と過剰な飲酒、万引き、家出などの末に「できちゃった婚」(35年前では考えられなかった)、すぐに離婚、と、さんざん親を泣かせてきた。姉の高校のころは、家の中が荒れ放題で、母か姉かあるいは両方の怒鳴り声が起きている間じゅう響きわたってて、私は両方の愚痴を聞き、泣いていれば慰め、泥酔した姉(高校生なのに?)を部屋におぶっていき吐いたものを片づけ、というような毎日を送っていた。
私、自分のパーソナリティ障害は診断書で「中学2年時発症」と知ったけど、まあそんな環境だったなあ、ってことか。
そんな姉を見ていて、そして母に「あなただけはママを裏切らないでね」と泣きながらすがりつかれて、「自分は親を泣かせるわけにいかない」と思いながら、結局母には一度も口答えすることなく(もちろん反抗期なんてなく)大人になった。

反抗しまくってた姉は、大人になって子どもに暴力をふるったり、飲酒でトラブルが絶えなかったりしたけど、母のことは「こわい」とは思ってなくて、言いたいことをガンガン言っている。
多分、恨みも根深いものではないように思われる。

まあ結局私は「反抗できなかった」ではなく「反抗しないことを自分で選んだ」のだから、そういう道を選んだ自分に責任がある。
それで今さら母を恨んだりするのは間違ってる気がする。
恨んでるなら、今からだって、母に「あんたは酷い母親だった。私の子ども時代を返してくれ」とか言えばいい。
でも、私はやっぱり嫌だ。小さい頃から怒ってる母、冷たい父(そして2人は不仲)を見て、喧嘩とか大きな声、人を責める言葉、険悪な空気、そういうものを、ものすごく恐れているし嫌悪している。
そういう、感情がむき出しになった醜い人間のやりとりは、気を失うほど嫌いだ。

76歳にもなった母に泣かれるのも嫌だ。
タラだけは私に逆らわないいい子に育った、という幸せ(偽だけど)を、墓場まで持って行ってもらいたい。

答えは出ているじゃないか。母に恨み言は言えない。言いたくない。
言わない。

でも、自分を、どうしたら?
こんな「壁の薄い」「こわれそうな」「刺激に敏感で痛々しい」(いずれも主治医の先生の言葉)私を、どう成長させていけばいいのか?

長々すみません。
愚痴&身の上話でした。
読んでくださった方、「どんだけ長いんだよ! このヤロー!」って思ったかな、ごめんなさい、ありがとうございました。
おやすみなさい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする