金曜は学校、土曜クリニック、日曜(今日)は姪(夫の姉の次女)の結婚式、という、なんだかハードな3日間を過ごしました。
なんというか、身体もしんどかったけど、それぞれの場所での感情の揺らぎみたいなものが大きく、「濃い」感じの3日間で、いろいろなことを感じ、考え、ちょっと整理ができずにいます。
一つ思ったのは、「私の心には、撥水加工がなされているのでは?」という疑惑。
恵みの雨は降り注いでいて、それは昔から変わらずそうであり、私の心がそれを弾いていたのかもしれない。
生育環境は満足できるものでは決してなかったけど、出会った人たちの中に、私を思い心配してくれる人はいろんな場面で存在していて、私がその気持ちを受け取れなかっただけなのかもしれない。
一昨日、学校のクラスのみんなの前で、ふと「自分は『負の感情を出すのは悪いこと』と叩き込まれて育ったので、愚痴や不満を口に出すことが苦手です」と言い、未だに親の影響を受けていてうまく感情表現ができないことを話したら、帰りに「でも、感情表現をしているタラさんは素敵だよ」と声をかけてくれたメンバーがいて、嬉しかった。
昨日は、主治医の先生が、17年にもわたる治療でいっこうに進歩していないような気がして落ち込んでた私に、「過酷な幼年期・青年期を過ごし、その後もたくさん苦労をしてきた。その分、回復には時間がかかるものだし、その中で自分をなんとかしなくちゃと頑張って、学校に入ろうと決意するまでになったんですよ。それは回復してきているということですよね」と言ってくれた。
支えてもらうことも、甘えることも、必要なことだと言ってくれた。私が先生に執着(依存?)していることも、悪いことではないと教えてくれた。
先生は、私にとって学校が負担になっていないか、すごく心配してくれている、ということもすごくよく伝わってきた。
今日の結婚式でも、私は夫亡き後、自分は夫の親族とは他人なのかなって、いつも微妙な気持ちでいたんだけど、義姉たちはずっと「きょうだい」として私を大事に思ってくれてることが感じられた。
披露宴のテーブルに、招待された人それぞれへのメッセージが書かれたキャンドルがあって、私の分のキャンドルに「タラおばちゃん(の次にハートのマーク)」という書き出しの後、感謝の気持ちが綴られていた。
これまで、夫の親族には(姪や甥にも)ずっと「タラさん」(いや、本当は本名に「さん」付け)と呼ばれてて、キャンドルを見たとき一瞬、「へ? おばちゃんかい?」と地味にショックだったんだけど、新郎新婦の赤ちゃん時代から出逢いまで、そして二人一緒の楽しそうな笑顔のスライド写真を見ていて、なんだか涙が出てきた。
私たち夫婦の結婚式の時、彼女(姪)は義姉のお腹の中にいた。
生まれた時から知っていて、育っていく彼女を折々に見ていた。
私は「ダンナの姪」と思ってどこか他人の目で見ていたかもしれない。
でも、彼女の目からは、私は「小さい頃から知っている『叔母ちゃん』」だったのだ、と思ったら、「ああ、親戚なんだ。他人ではなかった」と、不思議な感慨があった。
私は受け入れられていたんだ。ずうっと。
人に思われている、心配されている。これまでもそうだったのだろう。
今もだけど、私はその「人からの思い」を、本当に心の奥から実感することができない。
「撥水加工」とはそのことだ。
人の温かい気持ちを、受け取る(満たされ、温かく感じる)ことができない。
でも、今日あらためて、そのことに気づいたし、そういう自分を知った。
これから、と思うことにする。焦らず。
濃い日々を過ごした。
人とつながっている(らしい)ことを、「誰からも愛されていない」わけではない(らしい)ことを、ぼんやりと感じた。
恵みの雨は確かに降っているんだ。
それを身体中で受け止めて、温かい雨でずぶ濡れになって笑える日が、いつか訪れるかな。
それまで生きていくよ。
なんというか、身体もしんどかったけど、それぞれの場所での感情の揺らぎみたいなものが大きく、「濃い」感じの3日間で、いろいろなことを感じ、考え、ちょっと整理ができずにいます。
一つ思ったのは、「私の心には、撥水加工がなされているのでは?」という疑惑。
恵みの雨は降り注いでいて、それは昔から変わらずそうであり、私の心がそれを弾いていたのかもしれない。
生育環境は満足できるものでは決してなかったけど、出会った人たちの中に、私を思い心配してくれる人はいろんな場面で存在していて、私がその気持ちを受け取れなかっただけなのかもしれない。
一昨日、学校のクラスのみんなの前で、ふと「自分は『負の感情を出すのは悪いこと』と叩き込まれて育ったので、愚痴や不満を口に出すことが苦手です」と言い、未だに親の影響を受けていてうまく感情表現ができないことを話したら、帰りに「でも、感情表現をしているタラさんは素敵だよ」と声をかけてくれたメンバーがいて、嬉しかった。
昨日は、主治医の先生が、17年にもわたる治療でいっこうに進歩していないような気がして落ち込んでた私に、「過酷な幼年期・青年期を過ごし、その後もたくさん苦労をしてきた。その分、回復には時間がかかるものだし、その中で自分をなんとかしなくちゃと頑張って、学校に入ろうと決意するまでになったんですよ。それは回復してきているということですよね」と言ってくれた。
支えてもらうことも、甘えることも、必要なことだと言ってくれた。私が先生に執着(依存?)していることも、悪いことではないと教えてくれた。
先生は、私にとって学校が負担になっていないか、すごく心配してくれている、ということもすごくよく伝わってきた。
今日の結婚式でも、私は夫亡き後、自分は夫の親族とは他人なのかなって、いつも微妙な気持ちでいたんだけど、義姉たちはずっと「きょうだい」として私を大事に思ってくれてることが感じられた。
披露宴のテーブルに、招待された人それぞれへのメッセージが書かれたキャンドルがあって、私の分のキャンドルに「タラおばちゃん(の次にハートのマーク)」という書き出しの後、感謝の気持ちが綴られていた。
これまで、夫の親族には(姪や甥にも)ずっと「タラさん」(いや、本当は本名に「さん」付け)と呼ばれてて、キャンドルを見たとき一瞬、「へ? おばちゃんかい?」と地味にショックだったんだけど、新郎新婦の赤ちゃん時代から出逢いまで、そして二人一緒の楽しそうな笑顔のスライド写真を見ていて、なんだか涙が出てきた。
私たち夫婦の結婚式の時、彼女(姪)は義姉のお腹の中にいた。
生まれた時から知っていて、育っていく彼女を折々に見ていた。
私は「ダンナの姪」と思ってどこか他人の目で見ていたかもしれない。
でも、彼女の目からは、私は「小さい頃から知っている『叔母ちゃん』」だったのだ、と思ったら、「ああ、親戚なんだ。他人ではなかった」と、不思議な感慨があった。
私は受け入れられていたんだ。ずうっと。
人に思われている、心配されている。これまでもそうだったのだろう。
今もだけど、私はその「人からの思い」を、本当に心の奥から実感することができない。
「撥水加工」とはそのことだ。
人の温かい気持ちを、受け取る(満たされ、温かく感じる)ことができない。
でも、今日あらためて、そのことに気づいたし、そういう自分を知った。
これから、と思うことにする。焦らず。
濃い日々を過ごした。
人とつながっている(らしい)ことを、「誰からも愛されていない」わけではない(らしい)ことを、ぼんやりと感じた。
恵みの雨は確かに降っているんだ。
それを身体中で受け止めて、温かい雨でずぶ濡れになって笑える日が、いつか訪れるかな。
それまで生きていくよ。