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卯月タラの日々のつぶやき

初めての反撃(母へのメール) その2

2011-12-28 02:24:27 | タラの日記

つづきです。

長々とスマホからメールの文章を書いたのですが、多分感情的になっていたせいなのか、操作ミスでデータがパーになり。
「やっぱり止めろと神様が言っている」としょんぼりしていたのですが、「あー、なんかもう、めめんどくさくなってきた。気を遣ってあれこれ考えるのやめよう。自分の思ったことをストレートに書けばそれでいいや。後のことはそのときになって考える」と決めて、書き直しをしました。
以下が、母に送ったメール本文です。

―――――――――――

「(前略)さて、昨日の会話で、どうしても引っ掛かるところがあったので、一言と思い、なるべく短く分かりやすく書こうと思います。

私のこと「逃げてきたから強くなれないのよ」と言ったよね。多分、ママにとっては大切な実りのある「くだらない」ことを、私がパパと同じ価値観でバカにして避けてきたから世間知らずなんだ、ということかなと思います。
ただ、20年近く前の、保護者会の感想(多分半分は冗談、残り半分は若気の至りで反省もしています)からずっと同じ価値観で生きてきたわけではないし(人は成長します)、パパに似ているからと言って同じ価値観を持っているというのは思い込みでは? 私がパパを100%尊敬し、真似したいと思って育ったと思いますか? 親というのは反面教師の面も必ずありますよね。
ちなみに、私は井戸端会議はコミュニケーションのひとつで「くだらない」と思いません。人の悪口はくだらないですが。

私なりに置かれている状況下で精一杯の選択をして生きてきたので、多分「くだらない」ことを避けているように見えるのでしょう。人によって優先順位はさまざま、何に重きを置くかはそれぞれですので(ママも人はそれぞれだ、そのことを自分は認める寛容さを持って人に接している、と自分で言ってましたね)。
私のことを、「強い精神力と生命力と、大きな包容力を持つ人」と見てくれている人はたくさんいます。
誰でも弱いところはありますし、私もそうですが、だからこそ、安易に「強い」「強くない」とは言えないです。

必死で社会と関わり仕事も一生懸命やってきて、今も将来に向けて頑張ろうとしている私を、「世間知らず」ましてや「頭がいいから何でもできると思って努力していない」と思って見ているのですか。

「もっと褒めて育てればよかった」と言いましたね。
私はパパからもママからも「本当によく頑張ったね。えらかった」と「頑張り」を評価しねぎらう言葉をひとつももらった記憶がありません。
努力なしに送れる人生なんてありますか。
ママは「自分はパパと違って頭はよくない。だから人一倍努力して補ってきた」という自負があるのでしょう。それは誇りに思っていいと思いますし、えらいなあと思います。
でも、人の努力ははたからは見えないこともあります。

パパのことはよくわかりませんが、あの人は本当に何の努力もしてこなかったのですか。
努力できる量というか、度合いも、人によります。
「努力できる」というのも能力、才能であって、万人が同じだけ頑張れるわけではないです。
パパがたやすくできた(ように見えた)ことでママに難しかったことがあったように、逆もあったということで、頑張れない人を批判するのは、いい成績を取れない人に「バカだな」と言うのと、そんなに差がないように思えます。
「人のことをあれこれ言わない」というのがママの信条ですよね。
今の私は、まあ自分に自信はないですが、自信過剰よりずっといいですし、褒めてくれたり助言をくれたりする人には恵まれています。

「短く分かりやすく一言」のつもりが、長々してしまいましたね。
多分、私の「引っ掛かり」は、「逃げてきた」という表現でした。「逃げた」というのは、受け取る側によっては意地悪な響きですし、責めるときに使う言葉ですよね。
「褒めて育てれば」と後悔するより、今、「こんなことを言ったら、娘は傷つくかも」と考えてくれたら、それで充分です。

私は恐らくとても口がたつので、相手をねじ伏せることは多くの場合容易です。
ママが「パパに理路整然と言われて言い返せない」と昔から言っていたのを知っていて、圧倒的に正論を言うことは時としてフェアではないと肝に銘じているので、普段は私は力説しませんし、強い主張もあまりしませんが、今回はちょっと「うーん、さすがに大人になった娘に対して、この物言いは一方的な決め付けだし、許容範囲を超えて失礼ではないか」と、モヤっとしたので、思ったことを伝えます。
悪く思わないでください。
ではまた。
身体に気をつけてね。
年が明けて落ち着いたら、また連絡します。

本文ここまで

――――――――

なんだか疲れた。
母とは絶縁になっても仕方ないと思いながら、お互いのためにこれが多分ベストだ、結果は引き受ける、と覚悟を決めて送信しました。

そして、しばらくして、母から電話が。
母の口から初めて、謝罪の言葉を聞くことになるのですが、つづきはまた書けるときに。
とりあえず、生まれて初めて、母に本心を言いました。
母から「悪かった。そんなに娘につらい思いさせてると知らなかった。逃げてたのは私だった。いたらなかった」というような言葉をもらったけど、それがうれしかったというより、本心をメールした時点で、「言えた。がんばった。これでようやく子ども時代が終わる。大人らしく生きていこう」と思えたことのほうが、うれしかった。
母の改心よりももっと、自分の勇気が、「生きていてよかったね」という素直な喜びにつながりました。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
またね。


初めての反撃(母へのメール) その1

2011-12-28 01:04:45 | タラの日記

なんだかめまぐるしく、いろんなことが起こりました。
母にプレゼントを贈ったら、やさしくしたことにつけこまれて泣きを見たことは、先日書いたと思います。

懲りてないわけじゃないのだけど、26日、母と話す(普通のおしゃべりです)羽目になりました。
私は別に恨みがましいことを言うこともなく、いつもどおり母のおしゃべりを「うん、うん」と聞いていました。

そうしたら、父の昔話を始め、だんだん流れがおかしくなっていきました。
父は近所の主婦の井戸端会議やPTAの付き合いなどを「くだらない」とすごく嫌っていました。女どもが集まるとろくな話題にならない、ということで。
母は、私が息子の初めての保護者会から帰って「なんか、あの中にずっといると、自分がバカになる気がする」と言った(この記憶は私にはなく、「そんなこと言うかな?」って感じですが、母ははっきり覚えていると言うので、多分そうなのでしょう。今にして思えば「私って何様?」)のを話題にしてきて、「あんたはパパ似で頭がいいから、そういうことをくだらないと見下してきた。一見くだらないようなことをたくさん経験している人が強くなるのよ。あんたはそういうことから逃げてきたから世間知らずのままで、強くなれないのよ」と言い出し、その後も「パパ(私の父)は頭がよかったから努力しなくても何でもできた。だから天狗になって努力を怠った。それで出世できなかった。あんたも自分が何でもできるから努力を知らないし、できない人の気持ちなんてわからないでしょう」とか。

父は詩吟を教えていたのだけど、父が亡くなった後にいらした新しい先生は「くだらない人たち」の味方で、すごく低いレベルから丁寧に教えてるから、生徒さんからすごく慕われている、とか。

「私はあんたたちをあんまり褒めなかった。もう少し褒めて育てればよかったのかなあって、後悔するときもあるのよ。でも、Eちゃん(母の姉の娘。私の6歳上のいとこ)はNちゃん(Eちゃんの兄)と比べられて「ダメな子」「できない子」とさんざん言われて育ったけど、大人になって「お母さんの評価(あなたはダメな子だという)は間違っている。私はダメではない」と乗り越えて、趣味(手芸)をすごく頑張って開花したのよ。あんたも殻を破りなさい!!(←ビックリするような強い命令口調)」とか。

まあ、彼女の言いたい放題は昔からなのだけど、だんだん「え? なんで矛先が私に来てるの? 私、あなたにどんな悪いことしましたか?」と思い始め。
あなたに私の人生の何がわかるんでしょうか、昔の私を知っている(内面は知らない)だけで、どうしてそこまで上から目線になれるんでしょうか、それとどうして父に似ているという理由だけで、父への恨みを私に一緒くたに投げつけてくるんでしょうか。と疑問がめぐり。

ふつーの母娘関係なら、まあこんな言葉を「ばーさんがまた何か言ってるぜ」と流せるのでしょうが、私にとって母との関係は対等になったことはなく。

ずーっともやもや。
で、誰かにこの「なんだかぺっちゃんこなんですが(圧死という感覚です)を聞いてほしいと思いました。

でもね、ふと「一生、ほかで憂さ晴らしをし続けていくのか。それで私の成長はあるのか。救いはあるのか。このままで幸せはあるのか」と。
「あなたはとても失礼なことを言っているのよ」と本人に言うことは悪いことなのか。
70歳を過ぎた母はもう成長しない、しなくていい、と見限ることは、娘としてどうなのか。私は娘として、どうありたいのか。人として、どうありたいのか。

そして、考えた末、母にメールを送りました。

つづく。