今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

誤解(お互いに相手を怖れていたこと)。

2011-12-29 01:05:02 | タラの日記

一日が過ぎました。

「これまで母に何を言われても、言われる自分が悪いと思ってきましたが、先日初めて『いわれのない非難』と感じ、『努力して生きている私に対してそれはとても失礼なことだよ』と、きちんと言えました。私が虐げられて当然の存在ではなく、尊重されることを求めていい一人の人間なんだと思わせてくれたのは、みなさんです。みなさんのおかげで、私は強さと勇気を持つことができました。ご報告とお礼です。ありがとうございました」
というような内容のメールを、クラスメイトと合宿で一緒だったメンバーに送りました。

もちろん、学校で出会った仲間だけのおかげではなく、私には支えになってくれる、応援してくれる人が、たくさんいたんだ、ということにも、あらためて気づかせていただきました。
ブログに来てくださっているみなさんにも、お礼を言います。
ありがとうございます。

合宿で私のグループの担当だった先生にも、同じメールを送ったところ、とても褒めてくださって、自分もうれしいよ、という内容の短い返信をくださったのだけど、そこに「でも人生はまだ長いからぼちぼちやっていってね」という言葉が最後に添えられてありました。
初めは意味がよくわからなかったのですが、今日一日過ごし、昨日書いたブログや母へのメールなどをあらためて読み返し、母とのやりとりを思い出し、いろんなことを考えるうち、「有頂天になってたけど、ゴールに着いたのではなく、これからなんだな。そのことを、あの『ぼちぼち』という言葉は意味していたんだな」と、わかりました。

母は小さい頃(母自身が子どもだった頃)、身体が弱くて勉強もできない、いつも泣いてばかりの「ダメダメな子」だったそうです。中学を出て就職しようとしたものの、体力がなくて寝込んでばかりで、働くのを断念し、洋裁を習うようになったそうです(結婚した後、家でずっと人様の洋服を仕立てていました。私が成人した頃は、自宅で洋裁教室もやっていました)。
私の記憶の限りでは、母はとても病弱というイメージからはかけ離れていて、殺しても死なない頑丈さとものすごい気の強さを持っている人で、異常にテンションが高く声も大きく相手に有無を言わせない勢いのある人です。
母は「努力」が自慢の人でした。生まれながらに身体的にも精神的にも弱かった自分がここまで強くなれたのは、人一倍努力したからだ、と、そのことが誇りでした。

父は、当時大阪で一番の大病院の跡取りとして育てられました。実は母親が継母でものすごく邪険にされて、いつも「ねえや」(←養育係のおねえさん?)しか味方がいなかったそうです。
親の愛に恵まれず、病院は戦争で焼け、医学部に進んだもののなんやかんやで退学し、結局は会社員になりました。
ただ、父はものすごく頭のいい人でした。私の姉がよく父に勉強や一般常識などでわからないことを聞いていました(父は私とはかかわりたくないようだったので、私は父とは接点がありません)。父が「わからない」と言ったり間違ったことを言ったことは、私の知る限りでは、なかったと思います。父に聞けば何でもわかるし、父は自分がわからないと思えば多分調べたりしていたのでしょう。「生き字引」と呼ばれていました。

母は頭のいい父に憧れて結婚したようですが、しだいに「もともと頭がいいからってそこに胡坐をかいている。これだけの頭脳を持っているのだから頑張ればもっともっと上にいけるのに、その努力をしない。向上心がない。怠け者。能力は活かさなければ意味がないのに、宝の持ち腐れ」と苛立ちと嫌悪感と軽蔑を感じるようになっていきました。
父は多分、会社員には向いていなかったのだろうと思います。出世したいという欲もなかったのだと思います。
でも母にとって、出世街道を行かないのは「負け犬」でした。

今回のことで初めて知ったのですが、私たち姉妹は、かなり「できる子」だった、特に私は父に似ていて幼児期から「こんな賢い子は見たことない」(←まあ、神童も大きくなったらなんとやらですが)と、親戚からもよそのお母さんからも先生からも褒められまくったそうです(私は覚えていない)。
「みんなが褒めてくれるんだから、自分が頭がいいことは知ってるはず。親までが褒める必要なし」と思ったそうです(おととい初めて聞きました)。

母にしてみれば、自分が子どもの頃に取れなかったような良い成績表や答案用紙を、「努力もなく」「当たり前に」取ってくる娘。
生まれつき頭がいいからって、何の苦労もせずにはたから褒められている。
そんなに頭がいいならもっともっと努力して頑張って、すごい人になればいい。
私の知る母は、そのあたりからです。

「勉強はできて当然と親からは思われている。親は私に不満がある。勉強以外のことも、もっともっと頑張らないと、親は喜ばない。どうしたらいいんだろう??」

そして私は「カンペキな人間」を目指していくのですが、母の目には逆に「できない」と言わない、弱音を吐かない私は、だんだん「こわい」存在になっていったそうです。

おとといの母の意外な言葉。
「あんたはカンペキすぎてこわかった。あんたといると、自分のダメさを見抜かれてる気がして緊張した。気を抜けない息苦しさがあった。だから私はあんたと向き合えずに逃げていた」

母の暴言の数々は、私が「できない子」だから「いらいらする。なんてバカでぐずなの。腹が立つ」という意味なんだと思い込んでいた。母にとって、それは自己防衛だったのだ。

「親に認めてもらえなかったら、どこで評価されたって子どもにとってはうれしくもなんともない。意味がないんだよ」と言ったら、「あんたが自分に自信がないって思ってるなんて、ゆめにも思ってなかった。あんなに周りから評価されてたら自分の能力はわかるはずだと思ってた。親というものがそんな特別なものだと、今、気づいた」と母は言った。

私は完璧でもなんでもない凡人です。
母は自分のコンプレックスから、私のことを過大評価していたと思います。
そして、私は母に「この子はやっぱりバカだ。ガッカリ」と思わせないように、ひたすら自分の弱点をひた隠しにしてきたし、まあ私の得意な「ハッタリ」で実力以上に見せてきたというのもあります。

何をやっても裏目に出るタイプの私ですが、親に認められたい一心で頑張ったことがまさか親に疎まれる原因になっていたとは。とほほな人生だ。

ここまで読めた人(昨日からのこの膨大な量の、そしてなんだか他人から見たら興味わくかどうかもわからない個人的な文章に、付き合いきれたという奇特なかた)、いますか?
ああ、なんだかなあ、いろんなことが徒労だったのかあ。という結論です。すみません。

眠くなりました。
お付き合いありがとうございました。おやすみなさい。