今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

見えなくても。

2014-05-02 23:27:36 | タラの日記
娘がいなくなって、すっかり無気力になり、些細なことでいちいち涙が湧いてくる日々だったのだけれど。
そんな中、昨日、夕ご飯が作れなくて、ピザを取ったのね。
で、ピザも前はLサイズだったのがMでいいんだな、とか思ったんだけど、そのピザを食べていて、ふと思い出した。
前に、娘の彼氏が遊びに来た時に、ピザ取ったことがあった。その時、リビングが散らかり放題だったのもあり、ラブラブの娘たちの邪魔をするのもねと思ったのもあって、娘と彼氏は娘の部屋、息子と私はリビングで、それぞれ別に食べたのだった。
あの時、娘は家にいたけど、娘の部屋にいたから見えなかった。
見えないけど、いた。
今もそれは変わっていないのでは?

いなくなったわけじゃなくて、見えないところにいるだけなのでは。
隣の市のアパートにいて、ここからは見えないけど、娘はちゃんといるのだ。
そんな当たり前のことを、昨日はピザを食べながら、ようやく「わかった」気がした。
見えないイコール無い、と感じて不安になってしまう私の癖。なんでだろうね。

今日は、新宿に、友達に会いに出かけた。相談したいことがあると彼女から一昨日メールもらって、私もちょうど話したいことがあったので、お茶しながら話した。
彼女は、「悩んで出口がなくてぐるぐるしちゃって、それでタラさんに聴いてもらおう!って思った」と言う。
私のこと思い出してくれて嬉しい、ありがとう、と言ったら、「タラさんのことはよく思い出すよ」と言ってくれた。
でも私には、人が、会っていない時に私のことを思い出している、というのが、いまひとつピンと来ない。

新宿で3時間ほど話して、お互いにそれなりに悩みに風穴みたいなのが空いた感じになって、よかった、また会おうね!と別れ、帰る電車の中で、別の友達から「どうしてる? 娘さんのいなくなった寂しさは少しは和らいだ?」とメールが入った。心配してくれていたらしく、ありがたくてお返事書いた。
「思い出してくれてありがとう」と書いたら、「私、けっこうタラさんのこと思ってるのよ」とのこと。
そして帰宅して少しして見ると、また別の友達から「渋谷でタラさんの好きなキティちゃんのイベントやってたよ!」と、画像までついたメールが。キティちゃんを見て、私が喜びそうだと思って写真撮って送ってくれたのだ。感激。彼もまた、目の前にいない私に思いを馳せてくれたのだ。

今日は、こんなふうに、なんだかありがたい思いをさせてもらった日だった。
私も、会っていなくても、誰かのことを思い出すことはある。でも、誰かが私を思ってくれている、というのがどうにも想像できないのだ。
見えないイコール無い、と思ってしまう。言葉やメールの文字になっていないと、伝わりづらい。
なかなか厄介な癖だと思う。

今日は、でも、温もりをもらった、いい日だったな。
Aちゃん、Kさん、Mさん、ありがとう!
友達っていいもんだ、と思えた日でした。