約500年もの長きに亘って琉球王朝の宮殿であった首里城は、あの凄惨な沖縄戦によって焼失。1972年の本土復帰以来、何期にも分けた復元工事が続けられ、2000年に世界遺産に登録され、今日では殆どの建物が精緻に復元されています。私たちは名古屋に帰る最後の日にこの世界遺産を訪ねました。
石段が続き、幾つかの門をくぐり、右折左折を繰り返したのち、眼前にドンと現れた正殿にまず圧倒されます。高さ16m、幅28m、正面の唐破風妻飾りに牡丹唐草、朱塗りの背面に浮き立つ金箔の龍。正面に玉座を配した「儀式の間」をはじめとする気品に満ちた「首里城正殿」、続いて「南殿」、「番所」と巡るうちに、視線が隅々にまで届くようになり、改めてその文化度の高さに圧倒されます。沈金で鳳凰を描いた丸櫃、螺鈿で龍を描いた大盆、見事な染色と描画が施された衣装など琉球王朝に仕えた職人の技の凄さに驚かされます。
「守礼之邦」の名に相応しく琉球王朝は、洗練された儀式と行き届いた接遇によって平和外交を展開し、東アジアの物流の拠点として繁栄を続けました。下の写真は、外国からの客人をもてなすとき舞われた琉球王朝独特の「歓迎の舞」で、現在は、服装も所作も当時のままの舞が観光客のために舞われています。この舞から琉球王朝の文化の高さと平和外交の心意気が読み取れます
しかし、1609年の島津の琉球侵攻から明治12年の沖縄県設置(琉球藩廃止)までの歴史や、1946年以降の米国による占領から1972年の本土復帰、そして今日の基地問題と、常に世界情勢の変化と東京の対応の間で翻弄されている沖縄の歴史を考えると、私たちは孫の世代と共にもっともっと沖縄の歴史を学ばなければならないと思いました。