かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

かわず(蛙)の書棚(その2)

2012-06-16 | 気ままなる日々の記録

 (前回の続き)
 昨日「大腸内視鏡検査」の結果をお聞きした。検査の途中例の通り、3地点で腸壁から検査素材を採取しました。その検査結果の説明です。私は終始モニターで自分の腸内を見ていて検査素材の採集も“目撃”していました。耳掻きのような小さなスプーン状のハサミが顔を出し、腸壁に差し込まれ、開いていた口を閉じて引き抜かれます。素材を切り取られた腸壁からは糸を引いたように血が流れ出ます。「これはすぐ止まりますからね」と先生。

 自分の腸内をテレビモニター画面で見せて頂く! これは何度見ても衝撃的です。「ああ、この部分は正常ですよ。奇麗ですネ」「このあたりから炎症部分です。だいぶ良くなっていますね。でもまだ腫れています。カメラを入れるとき痛かったでしょう」。 先生の説明をお聞きしながらゆっくり動いている自分の体内を見ながら、これを見ているのも自分の脳なのだが、と思うともう全てが神秘的に思え言葉がない。動いている腸がいとおしい。いたわらねばならぬと決心した。

 「検体から、悪い細胞が出来ていないか、悪い細菌が付いていないか、の検査をしましたがいずれも悪いものは見つかりませんでした」とのこと。 「でもまた、何かありましたら迷わず来てください」とのお言葉を戴いて、ハプニング騒動は終了。

(閑話休題。今回のテーマは「書棚」でした)

             

  『四文字熟語……』の方は、チョット時間があってユダヤやキリストから離れたいとき最適。まだ読了に至っていないが楽しく読めて頭が下がります。最初の話題が「温故知新」。私たちは「ふるきをたずねて、あたらしきをしる」と教わったが、京都大学人文科学研究所教授の著者は「ふるきをあたため、あたらしきをしる」が正しいのではないか、とお考えだ。そして、そこからがすごいのだが、どうして「温」が「たづねて」になったかを、中国の古い辞書や論語解説を調べ上げ、同様な作業から「あたため」も可能であり、孔子の教えに近いのは「あたため」のほうだ、と書いておられる。チョットじかんのあるときお薦めだ。

 『老いの矜持』の方はずいぶん前に買ったものだが、書棚に並べた後、手を伸ばしていなかった。著者の中野孝次さんは以前『清貧の思想』という本をお書きになっており、この本には惹かれるものがありそれ以来中野さんのフアンではある。
 この本は随筆集のような体裁で、短いエッセーが集められているが、その中に一つにある詩人を紹介した文章があります。私は、何故かその文に共感、その詩人の詩をもう少し読んでみたくなった。以前だったらここで終わりですが、便利になったものです。ネットで検索するとすぐにヒットし、何と最近彼の詩集が何冊も発売になっていました。彼は、昭和2年29歳で夭逝した無名の詩人ですが。ネットで注文したら3日後には届きました。いま、心を静めて読んでいます。