沢山積んである本の中から、「三河の風」と云うタイトルが目に付いた。著者は大正末期に三河でうまれ、戦前まで其処で育った、英文学者でもあり、エッセイストでもある外山滋比古である。名前も著書も知らなかった。有る本などはとても話題になりミリオンセラーになったにもかかわらずである。
ペラペラとめくってまえがきを読んでいるうちだんだん読む気が湧いてきた。最近活字が小さくて読みにくくなり本から半年ほど遠ざかっていたのであるが。
前書きによると「三河の人々は維新以来、百数十年の間、身に見えない弾圧に黙々と忍んできた」というのだ。先ずどうして?と云う疑問が湧いた。徳川発祥の地であるからと云う理由である。そんな風には感じなかった、と反論したくなった。
実はわたくしは、人生で一番充実している時期に2年間三河に住んだことがある。城下町の風情が残り研究機関や大学もあり住みやすく文化的で明るい街と云う印象を持っていた。地形的にも小高い丘が沢山ありよく霧が出て歩くのに楽しみの多い土地でもあった。勿論知り合いも友達も多くできたが皆屈託がなく率直な人が多いと思っていた。
此処の施設にも三河出身と思しき人が見え良くお風呂で見かける。スタッフの方と話されるのを聴いていると活発で思ったことははっきりと話される。この人が特別なのか数十年と云う年月が三河の風潮や文化にも変化をもたらしたのか分からない。がともかく尾張の地で三河弁が聞けるのを楽しみにしている。(E)