入浴の時、ケアーさんとよく雑談をする。彼女たちは、近郷近在の主婦で子どもが学校へ行っている間だけパートで働きに来ておられる30歳前後の方々だ。
昨日も台風や洪水のはなしになって、オソマツ君が「折しも二百十日《二百とうか》だし」と云ったら「何ですかそれは」と云われてしまった。
立春から数えて210日目と云うことで台風シーズン到来と云われていたものだ。
220日《二百二十日》もよく言われていたものでオソマツ君は子供の頃よくきかされていたものだ。
そういえばひな祭りも端午(たんご)の節句もあまり聞かなくなってしまった。江戸から明治にかけてわが大和民族が農耕生活の中から生み出した民族の伝統文化を敗戦によって一気に失い、クリスマスだのバレンタインだので騒いでいる商店のハシタナイ儲け主義に踊らされてしまったようだ。クリスマス、バレンタイン、とくれば忘れられないのが、「ハロウーン」だ。旭ヶ丘の高校生服部君が「ハロウーン」の日にアメリカの一般家庭で銃殺された。この日はアメリカでは子供たちが魔女の服装をして、近隣の住宅へ入り「お菓子を呉れ!呉れないとイタズラをするぞ!」と云って、お菓子をたくさんもらえる日だそうだ。服部君はホームステイ先の友人と仮装してお菓子を貰いに民家に入りそこのご主人が「フリーズ」と云ったのにそのことが良くわからずうろうろして射殺されてしまった。服部君のご両親の気持ちを思ったらいてもたってもいられない。この事件を知ってほとんどの日本人は、アメリカとは、何と恐ろしい未開な国だろうと思ったものだ。
このハロウィーンだけは、日本の商業主義も敗北したようだ。服部君のご両親はアメリカから寄せられた弔問のお金を一括アメリカの銃規制の運動を展開しているNPOに寄付されたと聞いた。アメリカでは何と銃規制の法律が議会を通過しないと聞いた。市民の反対と同時に銃メーカーの反対が根強いからだという。
西部開拓時代の価値観が市民の潜在意識となっているからだ。恐ろしいことではある。
マスコミも日本文化の伝統を尊重し、次の世代に確実にバトンを渡したいものだ。むしろ江戸や明治の伝統文化を掘り起し光を当ててほしい。低俗なアメリカ文化に傾倒することだけは止めて貰いたい。(T)