日本には、1年を24等分した二十四節季と72等分した七十四節季と七十ニ候と云う季節がありました。第二次世界大戦に敗北するまで、日本の国民のほとんどが農民で海岸線に沿って漁民もいましたが、彼らも含めて自然の移ろいと豊かな恵みを感じて暮らしてきました。
思えば暦とは自然と人々の暮らしを結びつけるものでした。海岸線に近い地方では必然的に、農村部でも月の満ち欠けが暦であり、暦の中で生活を組み立てていました。もう少し具体的に述べると、新月の日を毎月1日とし、この日から満ちて欠けるまでを一月としたのが太陰暦、それでも、数年繰り返していると誤差が生じます。それを修正するために閏年(うるうどし)や閏月(うるうつき)を設けてうまく調整して、暦が農作業の目安になるまで、洗練したものに育て上げてきました。
戦後日本は独自の歴史的文化をすべて「遅れたもの」として捨て去り、狩猟・牧畜文化の真似をしたのは宝の山をどぶへ捨てたように残念なことでした。我が国の国民性なのでしょうか、熱しやすく冷めやすい。すぐに謝罪し、その場を取り繕うとする。伝統文化に誇りをもち、熟慮断行して慎重に歩を進めるようにしたいものである。
ところで、今日10月11日は七十ニ候では「雁来る」だそうである。ツバメが南の国へ去って雁が北国から飛来する季節になったことを日付けが教えてくれる。さらに始めてきた雁を「初雁(はつかり)とよび、その年の初めての雁の鳴き声を「雁が音」(かりがね)といったそうである。ぼくの実家には燕の巣があって、其処で育った雛が翌年帰ってきたものである。雁もそうであるが、よく帰ってきたものだと感慨も一入(ひとしお)であった。広い海や日本の尾張地方へ入ったとしても我が家を見つけるのは大変だとおもわれる。ツバメが返ってくると愛おしく、玄関の戸を5センチくらい開けておいてやったものである。
ここの施設の周囲は広大な農地で、今は稲の実りのあきとなり「実るほど頭を下げる稲穂かな」といわれるとおり、黄金色に実った稲穂が最敬礼をしているようにあたまをさげている。ねがわくば、あと半月ほど台風がここへこないことを!だ。風にやられて稲穂が倒れると穂が水に浸かって、お米が全部飼料用になってしまうからである。(T)
実りの秋