かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

名台詞(セリフ)に出会いました。

2015-10-08 | 気ままなる日々の記録

例のニュートンとアインシュタインの理論を解説した本「光と重力」の中の第4章でした。それは、

「偏微分方程式の長いトンネルを抜けると電磁波であった」と云う著者学生時代の感動を語ったものでした。勿論ノーベル文学賞を受賞された川端康成さんの「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」の一文をなぞったものである。しかし、この一文の中に数学と自然科学の真髄が含まれているように思われます。自然科学の中のある現象を数学で捉え、自然科学から離れて数学の計算をすすめ、得られた答えを自然科学へ戻すと大発見になる場合が多いという事実です。

   手始めにニュートンの力学にしても速度が変化するのは力が加わったからであるという仮説を数式化し、速度は微分係数だから元の関数を導いてそれらが、月や地球の運動方程式だ、としました。此処までは推定の域を出ていません。ところが、この式を用いて月食や日食の日を計算して待っているとピタリと月食や日食が起こった。その瞬間に月や地球の運動方程式は正しいとなったわけです。ダーウィンの進化論も3次元的な全方向への突然変異を想定し次が「適者生存」と云う原則によって地球上の種は生まれたとするところが数学的で神がおつくりになったというキリスト教的自然観と対立しました。

    日本の神道はもう少しおおらかな点がいいと思います。雲の上から長い杖を下し2~3回かき回して上にあげられると杖の先から雫がポタポタ落ちます。それが固まって九州、四国、本州、北海道になりました。しばらくするとそれらの島に木が生え豊かな森になります。森には鹿やサルがいて人間もいました。川には沢山の魚が住んでいて簡単に取って食べることができ森には果物が沢山あり人間たちは食べ物に困りません。これが日本の神話で、神様は人間や動物を造ったりされません。それらは、豊かな自然のいちぶなのです。(T)

 

キリスト教文化圏でよく言われる「神は数学を用いてこの世を設計された」と同じ意味でしょう。

 


収穫の秋たけなわ。

2015-10-08 | 気ままなる日々の記録

 

                                         

                                     

 一昨日あたりだったろうか。3時のお茶会から帰り一休みしていると、何だか聴き慣れない音がする。どうも、5階の突き当たりの窓辺りから聞こえてくるではないか。見に行くと想像通り大きなコンバインが、稲刈りを始めた様子である。

 よく見ると、運転する人だけではなく、周囲に人が3~4人いるようだ。しばらく見ていると四角い田の周辺から四つの辺に沿って刈り取っているのが分かる。何と刻んだ藁がコンバインの後ろの方から、吐き出されて来るのさえ分かる。作業は1時間もかからないで終わった。しかし、周囲の人々が何をしているのかは、最後まで分からなかった。

 記憶を辿ると、まだまだ青田であったような気がするが、農作業も様変わりする。(E)


ニュートンさんに改めて感動しました。

2015-10-07 | 気ままなる日々の記録

本の通販アマゾンを渉猟していて、「相対性理論発表100周年!というキャツチコピーに捕まってしまってついに買い求めたのが講談社新書「光と重力」であった。

   この本の冒頭で投げられる課題が「時代・ジャンルに関わらずこれぞ天才と思われる人物を挙げよ」と問われた時誰を挙げるか?まあニュートンとアインシュタインだはないだろうか。単に物理学上の偉大な発見と云うよりもっと根本的な人類の思考モデルを根本的に変えたという功績が大きいと論じている。ニュートンと云えば「万有引力」であり、アインシュタインといえば、相対性原理である。これらの概略は高校時代に教わった。とりあえず、数学を専門とするオソマツ君はニュートンに惹かれる。ニュートンは微分と積分を発見した数学者でもある。

   ニュートンを支えたのは、天文観察に熱狂したケプラーとブラーエであった。最初がデンマークの貴族ブラーエである。彼は自分の城に観測所をつくり天体観測に熱狂する。その記録を山のように残した。時代は16世紀末だから日本に移すと、天下分け目の関ヶ原の戦いの直後ぐらいである。名古屋城の城主が星の観測に熱中し天守閣で星ばかり見ていたということになる。このデータを整理して残したのがケプラーで、ニュートンはそのデータを説明できる法則を発見したということになる。

  此処でニュートンが残したという有名なことばがある。「月は永遠に地球に向かって落下している」というものである。これはまた「地球は永遠に太陽に向かって落下しているともいえる」。

  この事実を言葉で説明するのは少し難しいが、月は地球の中心に向かって飛んでくるが、太陽やその他いろいろな引力の影響を受けるので,少し方向がずれる。つまり、地球に衝突せず、近くをすり抜けてしまう。このとき、すり抜けた瞬間から地球から遠ざかることになるので、地球の引力を受けることになり地球の重心を巻き込むように急カーブすることになります。

 その軌跡は放物線の頂点付近のような曲線になり、それから先は惰性によってしばらく飛行し、またしても、通り過ぎようとした時点でまた地球の引力によって引き寄せられ急カーブをさせられます。つまり、こうして月は地球の周りを楕円軌道に沿って飛びまわることになるというのです。ニュートンは、速度が変化するのは力が加わった時だ、と云う自分が打ち立てた原則によって説明し、それを、微分を使って数式化し更に、何を微分するとこの式になるかを求めるために積分も計算できるようにし、区分求積法によって定積分の意味も明確にしました。当時の科学の中心課題は天動説か地動説かであり、天動説で説明がつかない、惑星のうごきでありました。ここで、役立ったのが前述のブラーエとケプラーの残した観測記録でした。ニュートンの天才的頭脳は観測記録を基に、宇宙空間での星たちの動きをイメージして、自分の仮説を証明しようとし、それに成功した点にあると思われます。立体模型を作ったとして地球を始め各種の惑星が太陽の周りを楕円軌道でまわっているとしたら、それを地球のお城の天守閣から見ると残されたデータのように見えるはずだ、と確信するまでの思索がすごいと思います。に立体模型を作ってうごかしてみたのでしょうか。そうした記録は残されていないようで、全てはニュートンの頭の中で行われたようです。この空間概念のしっかりしている点が、天才の天才たる所以のように思われます。図形を描きところどころに注釈をつける形で書けば分かりやすかったのに、だらだら文章で書いてシツレイしました。上記の本の一読をお薦めして終わります。お口直しに川柳を一首。をどうぞ。

  ●ヨタヨタとヨチヨチ歩きを追いかける。

  ●人込みで疲れて過呼吸寝て無呼吸。(T)

 


機器でパニックに。

2015-10-06 | 気ままなる日々の記録

  70歳を数年すぎてから始めたことが二つある。パソコンと携帯でんわである。どちらも機械音痴な私には無理と最初から手も出さなかったが、始めなければならないことが、起きてしまったのである。

  パソコンはニューヨークに住む友人がE-メールアドレスを送ってきた。10年も前にアドレスを聞いたことがあるからだと思う。こちらから、早速メールを打ったが、届かない。メールアドレスの確認とこちらのアドレスをエアーメールで送った。数日後、友人の方から、Eメールが届いた。本当に驚いた。地球の裏側から数秒のうちに、向こうの様子が分かる。なんだか息遣いまで伝わる気がする。Eメールとエアーメールとでは、全然感じが違う。断然Eーメールの利用が多くなった。避暑先のメイン州のクリフアイランドへ2回、ニューヨークへ1回写真の添付までして送っていた。

 ところがある日、事件が起きた。今まで素直なパソコンであったが、メールを殆ど書き上げた所で画面が消えてしまった。いろいろ試してみたが全然出てこない。文の始め、地名、曜日など大文字で気を付けて打ちアルファベットの間隔も気にして打ったのに、と悔しさがこみあげてくる。結局2度打ち直した。慣れない機器を使うのは年に合わないとさえ思えてきた。以後メールは打っていない。

 携帯の方は難病に罹り家族から半ば強制的に持つように言われ、コールのボタンのみ覚えた。最近になって、やっと娘とメールまでできるようになったが、ほかのことはサッパリ分からない。そんなさなか、二つ目の事件が昨夜起きた。携帯の画面が、真っ暗なのである。ケアーさんに尋ねたら、充電が不十分かもしれない、とのこと。ところが、充電中のランプがすぐ消えてしまう。他のコンセントからも試してみた。ケアーさんの本来の仕事とは異なるので、事務室の方へ聞きに行くことにした。いろいろ調べてくださり、電池パックが古いから変えてくださいと、ドコモの店まで探してくださった。

 つい先日も、画面の文字がどんどん大きくなり手を焼いて助けを求めたばかり何か事が起きるといやだいやだとパニックになる。まるで機械に振り回され、意地悪されているみたいだ。

 パソコンのE-メールの替わりはエアーメールでもできるが、携帯は代用品がない。何時になったらパニックから脱出できるようになるのだろうか。(E)

 

                                   

 

                                     


アッ今年、まだ西瓜食べてないのにもう10月。

2015-10-04 | 気ままなる日々の記録

  今日の新聞で見つけました。何新聞だったか忘れました。スミマセン。僕もそうです。昔は8月の午後3時ごろ家族みんなが集まって食べなければいけないようにして井戸から西瓜を引き上げてよく冷えた西瓜をたべていました。

  この習慣が薄れたのは冷蔵庫が家に入ってからでしょうか。この施設ではクーラーがよく効いていて場所によっては寒いほどでしたから、西瓜を頂いたとしてもむかしのように、美味しいという感激はなかったでしょう。新聞を読みながら、奇妙な感慨に耽っていました。今日はのどかな日曜日です。僕の場合毎日が日曜日ですが、やはり、本当の日曜日はホットします。

  リハビリなど決められた予定がないということが嬉しい理由のようです。オソマツなことです。失礼シマシタ。

 

 


新発見でした。

2015-10-04 | 気ままなる日々の記録

 昨日夕方車椅子で散歩に出て、前回のブログで取り上げたコンバインのかかった田圃を見てきました。すぐ気が付いて少し慌て気味でよく見ました。稲の刈取りが済んだ田圃に細かく切った藁ともみ殻が落ちていないのです。かって僕が見て拍手したコンバインは、①刈り取った稲から脱穀をし続いて脱穀したモミを、②籾摺りをして、もみ殻と玄米に分け玄米を袋詰めし、藁は細かく切って、もみ殻と一緒に田圃にばら撒いていました。人間が欲しいのは玄米の方で藁ももみ殻も田圃にお返しし翌年のための肥料にしようと云う考え方の機械でした。しかし、藁は農作業に実によく使う素材です。もみ殻の方もリンゴを入れて置いたり、枕に入れたりと結構なくてはならない素材です。だからこれも持ち帰ろうというコンバインでした。とくに藁は相当の量になります。軽トラで運んでも何往復もする必要があったことでしょう。玄米だけ持ち帰るコンバインと藁ももみ殻も持ち帰るコンバインとを見分けることができなかった自分の非才を恥じた次第です。やはり農作業は多種多様で想像以上に手間がかかります。綺麗に刈り取られた田圃に最敬礼して帰りました。(T)

 


稲刈りとシラサギ

2015-10-03 | 気ままなる日々の記録

爆弾低気圧とかいう恐ろしい風雨に荒らされることもなく無事収穫の秋を迎えられた此処の農家の皆様とともに実りの秋を祝福したいと思います。写真の1枚目と2枚目にご注目ください。コンバインです。機械の上にある煙突のようなところから収穫したもみ付きお米がさらさらと流れだし瞬く間に袋に一杯になります。もうちょっと大きいコンバインですと、一杯になった袋の口を閉じ新しい袋を用意するところまで機械がやります。機械があまりに賢いのでつい拍手を送りたくなります。

 

 


10月1日は散々な日でした。

2015-10-03 | 気ままなる日々の記録

前日から突然鼻水がポタポタ。リハビリ中も見苦しい様で時々椅子に腰かけ鼻をかまねばならぬ様相ついに耳鼻科の受診を勧められ雨の中を病院へ。寒い日でした。病院では例のごとく2時間ほどの待ち時間。自動ドア―の前で認知症らしきお婆さんがずーと立っておられドアーは 開けっ放し寒い風が吹き込んで足首から冷えて全身寒さに震えていました。噂では花粉症(稲科花粉)だろうとのことでした。診断は鼻炎で頂いた薬は抗アレルギー剤とかで、その薬を飲んだら3時間後ぐらいに、右胸肋骨の奥がいたくなってしまた。不気味な痛さで鈍痛には違いないが不快極まりない。もう横になると云って寝たが相変わらずの鈍痛看護婦さんに来てもらって2回も相談したが、原因不明、激痛なら急患扱いをするが鈍痛では暫く様子を見ようとのこと、体は少し暖かくなって2時間ほどお昼寝。目が覚めたら胸の痛みはなくなっていた。それ以後耳鼻科で頂いた薬は飲んでいない。兎に角散々な1日でした。

 気分転換にこれまで集めたシルバー川柳を少し書きます。

 ●ハイタッチ、腕が上がらず老〈 ロウ)タッチ。 

 ●子に告げる「胃酸過多」だが遺産なし。

 ●老いるとは増える薬と減る記憶。

  ●半値品並べて遅い晩御飯。

 ●アマゾンで買ったという孫何時行った。

 ●くしゃみして鼻をかむより股押さえ。

新聞の川柳欄や時事川柳にシルバー川柳がまじることもあるが、ホームランは少ない。それに、時事川柳はどこかに棘があって明るく笑えない。その点シルバー川柳の方が明るい。公益社団法人全国有料老人ホーム協会+ポプラ社編集部発行のシルバー川柳の本はすぐれものであるこの本は1~5まで5冊も出版されているようである。

 


「長寿の歌・お迎えが来た時にゃ、追い返せ節」

2015-10-01 | 気ままなる日々の記録

   当施設にお住まいで書家の部屋のドアーに面白い歌が書いてあるということが評判で、早速拝見に参上。ご挨拶したら、原稿や写真まで頂戴した。何でもインターネットで見つけられたとのこと。以下にその『長寿の歌・お迎えが来た時にゃ、追い返せ節』を書きます。

70歳でお迎えが来た時にゃ、ただ今留守ですと云え。

80歳でお迎えが来た時にゃ、まだ早いと追い返せ。

90歳でお迎えが来た時にゃ、そう急がずともよいと云え。

百歳でお迎えが来たときにゃ、これから行くと云え。

百五歳でお迎えが来たときにゃ、もう少し早く来いと云え。

60歳は第二の成人式、人生はこれから本番!

人間いたずらに多事、人生いたずらに年を取る。

いまやらねば、いつできる。俺がやらねば、だれがやる。(T)

正しくは「追い返せ節」は最初の5行までで、第二の成人式以後は頂いた資料に掲載されていたので転記したまで、です。《続く》