岐阜の春日村に、お茶摘みにいってきた。
岐阜羽島まで高速を走らせ、揖斐川にそって、上流にいくと、800年
の歴史があるお茶の村、春日村につく。遣唐使や遣隋使たちが、仏教といっしょに
お茶を薬として日本に持ち帰った。その立役者のひとりの栄西禅師は、京都に
建仁寺を建て、明恵上人に渡したお茶の種から、宇治茶が始まった。
八女、宇治、静岡は、茶所として有名だが、春日茶は、在来種しか栽培できない
急こう配な地形と、そのころのインフラでは、京や江戸におくるには地の利に恵まれず、
機械化もすすまなかったし、「やぶきた」という新種の対応もおくれた。そして、
高齢化もすすみ、後継者もいないまま、畑を手放す家も多く、「絶滅危惧種」になりかけている。
そこに我が押上村の路地裏の散人で閑人の「大樹くん」が、昨年からお茶摘みのボランティア
仲間を集い、お茶畑をなんとか盛り返そうという運動を始めた。
彼はぼくの蕎麦とお茶の弟子でもあるし、「よし、蕎麦会をそこでやろう」
ということで、今回の「天空の蕎麦会」が企画された。
ここのおじいちゃん、おばあちゃんたちの、自然に内包され、よりそうような暮らしは
「健康で持続可能な豊かな生活」に、満ち溢れている。
胸に手をあてて考えるまでもなく、ぼくたちは、今持っているものを半分に減らしても、
なんにも困らない、どころか、そちらのほうが、健全な生活になるくらい、無駄な消費を
繰り返しながら、暮らしている。山に3日いて、つくづくそんなことを思った。
腰はまがっているけど、元気なおばあちゃんやおじいちゃんたちと昼間は、お茶摘みをし、
夜に蕎麦会をした。おばあちゃんたちが持ち寄ってくれた、「春日豆」や「こんにゃく」や
「猿梨酒」や「かちどり」とか山菜の郷土料理に舌鼓を打った。
天空のマチュピチュのような村に、日本のこころ原風景みたいな桃源郷を見つけた。
明日は「墨田ぶらり下町音楽祭」