今日は「気骨の鮨会」がある。19時から。
昨日はその仕込み。元気なKさんがやってきて、江戸前の鮨の仕込みを教えてくれる。
午前中に、近くの老舗の材木屋さんにいったら、そこの社長が「びわとたらのめの木を
もっていかない」というので、スコップで掘ってかかえて歩き、庭の片隅に植えた。前日の雨
で土が湿っていて作業はスムーズにいった。界隈の土地がスカイツリー効果?で値上がりし、
新しい建売住宅になっていく。そこも今月いっぱいで住宅工事が始まるらしい。
そのびわの木は、20年以上まえに「鷽(うそ)」がやってきて、
フンをして、その中にあった種が発芽し、大きくなったものらしい。東武曳舟線の線路脇なので
日当たりもよく、人も通らないので、すくすくと育ち毎年たくさんの実がなって、ときどきご相伴に
なったりしたものだ。うちの庭で命を紡いでいってもらいたいたい。そのうち鷽が遊びにくるかも。
夜は近くの80年くらいになる古民家を改装して住み始めた女子の内にそばを持っていって
「引っ越しそば茶会」をやる。狭い部屋だけど、ずっと住んできた人の品のいい「いとなみ」が随所
にあって、時間を忘れてしまうような住居だ。土間に靴脱ぎ石があり、畳の部屋の隅には炉がきられて
いて、昨日はそこで沸かした湯で、春日茶を飲みながら、談論風発の時を過ごした。
古色蒼然としたたたずまいの中に床の間があり、京都の茶人が書いた掛け軸がさりげなく
飾ってある。「茶が香り、風雅にそれを楽しんでいるような漢詩」だ。これからここに集まる
人たちとの縁の広がりを見ているような茶掛けである。ただおいしいお茶やお菓子を食べる
、のではない、お互いの肝胆相照らすような語らい、なかでも寒山拾得のような世俗や利害得失
を超越したふれあいが、この押上のあちこちで邂逅し熟していくといいなと思う。