昨日は近くのお寺で珈琲会を頼まれて、いつもように、手回しの焙煎機を
がらがらまわして、珈琲豆を焙煎した。ダメ豆をよけたりすのに、ざるにいれて外で
ギンピなどを飛ばしていると、近くの小学生が前を通りかかって「これな~に」というので、
あつあつの豆を手の平にのせ、「食ってみろ」といい、「おいしい」とお世辞をいわれた後、
「これができたての珈琲や。大人になったっら飲みにおいで」といった。
お寺の境内には、いろいろな茶花が上手に植えてあり、この寺の「品格」みたいなものを
感じる。玄関に入ると、茶掛けに、白いむくげが投げ入れてある。正面には籠には矢羽すすき。
無駄なものがなく凛とした空間がみごとだ。
今日はまた違うお寺にいく。何年か前にそこで「蕎麦打ち」をやり、その縁でベトナムで蕎麦打ち
をやったり、すし職人のKさんが「気骨の鮨会」をやる仏縁をいただいた。そのKさんが本日
「柚子胡椒つくり」の指南をやってくれるのだ。彼の産まれた佐賀県のふるさとの近くに祐徳稲荷という
のがあり、昔から「柚子胡椒」作りの名人が多い。
佐賀といえば、煎茶の中興の祖、「売茶翁」のふるさと。今月は織田流煎茶道が、彼を偲ぶ茶会を
京都黄檗参山万福寺でやる。隠元和尚がこの寺に中国からやってきて、いんげんやカボチャなどの野菜
を伝え、普茶料理(ふちゃ)を広げた。書・茶・精進料理の「ふるさと」である。二階でやる「普茶料理」は
原理原則にしばられず、肉や卵料理があったり、「おちゃけ」もでたりするけど、根底にある「こころ」は
はずしていないと思っている。ときどきお客さんといっしょに飲んで、はめははずしているけど・・
明日は「ねんどの会」 こねるのまいかさんが作る「似顔絵」みたいなねんどが好評だ。
中学2年になったゆずのも依頼中。誰でもマーキングするように写真をばしゃばしゃ撮れる時代だけど、
違う形で残す、というのもいいもんだ。