目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

運針の練習

2018-11-26 | 日記

すっかり曇りの日となりました。

最近針を持つ時間を作るようにしています。

以前は秋になるとなんとなく縫い物がしたくなる私でしたが

最近はめっきりそんな気持ちもなくなりました。

歳をとったのでしょうか。


それでも時として生活の中で縫い仕事も産まれますよね。

子供がいないということは

そんなことも死ぬまで自分でやっていくってことですからね。

その必要に迫られて今回布を縫いました。

直線縫いです。

絹地なので細い糸に細く短い針を使います。

結構面倒な仕事です。

糸を通すのも面倒です。

でも必要があるので

その面倒な仕事をいかに楽しく片付けるか、

考えてみました。

思いついて

正しい針の持ち方と運針を教えてくれるユーチューブを検索。

おかげで目から鱗の経験をしました。



学校で裁縫の時間が始まったのは確か小学校四年生の時でした。

その時に白い晒しの布に赤い線が引いてある

運針用布というのがありそれで縫う練習をしました。

その時に針の持ち方も習ったはずです。



正しい針の持ち方を教わるなんてその時以来でした。

そしたらね、

全然正しくないやり方で覚えていましたの。

あらら。。。



運針は布を動かして縫い進めていくのに対して

私は針を動かしていました。

なんてこった

そういえば布を動かすやり方を教えてもらった記憶はあります。

でも針を動かしていました。



それから、改めて針を正しく持ち

布を動かす方法で運針の練習のつもりで布を塗ってみると

針を動かすよりも早く縫えるのです。

驚きました。

布を動かしながら縫い進めていくとまるで機械になったみたいに

布がたくさん掬えるのですね。

知りませんでした。



布は絹だし触っていて気持ちがよく、

新しい技術を学ぶつもりで運針を楽しんでいるうちに

目的の布ができました。

日本の着物はほとんどが直線縫いでできているでしょ。

技術を極めて本当に機械みたいにさっさと縫い上げる人とか

いたのでしょうね。


お針で食べていけた時代がちょっと羨ましいですね。


針を持つって手先の仕事だし、

ボケ防止にはいいかもしれません。

でも靴下の繕いは運針の練習にはなりませんね。


運針もどれだけ練習すれば上手になるのでしょう。

そう思うと始めてみたくなりました。



実はね、去年のいっとき折り紙に凝ったことがありますの。

記事にしたこともあるかもしれません。

折り紙で箱を作りました。

小さな箱とか細長い鉾とか、、、

色々と作ったんです。

それも手慰み。

なんとなく手で何かを作り上げたい衝動のようなものが時々起こるのです。

そんな時は雑巾を縫ってみたり、

色々しますが去年は箱を作りました。

今年になってその箱作をまだ覚えているだろうか、と

ふと自問する時があり、作ってみたらしっかりと覚えていました。

ほっと安心すると同時に、

箱を作りながら以前はわからなかった、より綺麗に作るポイントに気がついたのです。

この発見はなかなか嬉しいものでした。

本当に些細なポイントに気がつかないでいたのです。

それを知って作ってみると前より格段に綺麗な箱ができました。

それから、時々箱を作るようになったのですが、

作るたびに新しい発見があって必ずその前の作品より良いものができるのです。

それで楽しくなってしまいました。

それまでどうしてそんな簡単なことに気がつかないのか、

わかってみると自分が情けなくなるくらいです。

でもわからなかったのですから仕方がないわよね。


なのにそれが、次に作ると気がついてまた一段と綺麗な箱が出来上がるのですから不思議です。


ウクレレもそうなんです。

滅多に弾かなくても弾き続けていると少しずつ上手になっています。

ならば運針も、

続ければきっとうまくなると思うのです。

運針は布を動かすだけではありません。

ミシンの送り板が布を少しずつ送っていくように

人差し指と親指で

針の先を優しく持ち、ほんの少しずつ布を送る動きをしています。

これが絶妙の指さばきなんです。

和裁ってすごい、と感動します。

正座して両の手で布を持ち、肩を落として力を抜いて、

チクチクチクチク、チクチクチクチク。

無心の時間が過ぎていきます。

なかなか素敵な時間の過ごし方でしょ。


布は出来上がってもう縫うものはないのですが、

手が縫いたくてうずうずしています。

縫いたいのは直進縫い。

どこまでも縫っていきたい気分です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

靴下の繕いを毛糸で

2018-11-26 | 日記


こんにちは

薄曇りの空が広がる山里です。

曇りでも気温は高めで十一月の終わりとは思えません。

庭先ではマーガレットが咲き始めました。

その花つぼみを見つけて

変わった花が咲いている、って

そりゃ狂い咲きのマーガレットでございます。

夏の盛りの頃には白い花びらが心なしクリーム色っぽいのです。

まさかこの時期にマーガレットって、思わないよね。





日の出も位置もだいぶ南に下がっています。

冬至までひと月を切りましたね。


それでも朝夕の寒さは冬らしくなってまいりました。

靴下も厚手のものをと、

引き出しから出してきたら、

あらまあ、かかとに穴の空いたのがいくつも出てきたわ。

以前は刺繍糸を使ってかかとの穴を繕ったりしたけれど、

刺繍糸って細いから結構時間がかかりました。

それで面倒になってしばらく貯めておいたのです。

そしたらこの夏、友達が繕い物の本を送ってくれて

その時に靴下の繕いは

刺繍糸じゃなく毛糸でやると早いよ、と教えてくれました。


家人の穴あき靴下が何足かあったので

今日は毛糸を使って穴を塞いでみましたの。

そしたらね、ほんと早いです。

こんなに早くできるならさっさとやる気にもなりますね。

刺繍糸ではなかなか捗らず途中で嫌になっちゃうのです。

本当にいい方法が見つかりました。

絹の毛糸で使い道のないものがあります。

あの糸の使い道がやっと決まりました。

一石二鳥の喜びですね。


最近また針を持つ時間を持つようにしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よもぎ茶は血液サラサラ効果

2018-11-25 | 日記
今朝は今季初めての氷点下。

畑一面に霜が降りていました。

毎朝スムージーのための野菜を採りに畑に出ることから一日が始まります。

でもこうして霜が降りると野菜もぐったりしているので

これからの時期は

午後には明日の野菜を収穫しておいたほうがよさそうです。



昨日からヨモギ茶も飲み始めました。

ヨモギの葉っぱを蒸して乾燥させたものがお茶の葉替わりです。

ヨモギの葉っぱはやっぱり洗ってません。

緑茶だってあんなに農薬をかけて育てるのに

お茶にするまで一切洗うことはありません。

蒸すという過程があるだけです。

だからこそ私は無農薬のお茶を選んでいます。


お茶の葉だって水で洗ってしまえば成分が変わってしまうのでしょうね。




ヨモギ茶は血液をサラサラにする効果があると聞いてます。

今の私に必要なハーブかもしれません。


今朝きつい霜が降りてヨモギの葉っぱもしもやけしているのがありました。

そろそろヨモギも終わりになる頃。

ごま油を頼んであるので到着次第

ヨモギオイルも作ります。

これが案外効くので作り置きが欲しいと家人が言うのです。


ヨモギが地上から消える前に

オイルもお茶も作っておかなくちゃね。



今日は朝から繕い物の日。

靴下の穴の繕いがいくつも待ってます。

日向で針を使っていると暑いくらいなのでセーターは脱ぎました。

またしばらく暖かい日が続きそうです。

ありがたい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶり日帰り温泉

2018-11-24 | 日記



いいお天気なので久しぶりに日帰り温泉に行ってきました。

家人と二人で温泉は病気になる前に行ったきりだと思います。

温泉について駐車場がいっぱいなのでびっくり。

あとで今日は三連休の中日だと知りました。

家にこもったきりの生活だと祝日も日曜日もあまりわかりません。

いわば毎日が日曜日のようなものです。

駐車場に車はいっぱいでも浴場にはそんなに人がいるって感じじゃなくのんびりできたので

よかったです。



昨日のおじさんが言った言葉は

認知症は神様からの贈り物という、ものでした。

そんなふうに考えてみたことがなかったので、

へー、と妙に感心したものです。

友達のGテャンは認知症のお母さんの介護をしています。

お母さんは時々彼女のことさえ

「あんた誰?」と言ったりするらしい。

口にするのはもうこの世にいない人のことばかりで

どうやら彼女の母は昔の思い出の中に生きているようです。



彼女の母親の人生は

まるでテレビドラマのストーリーになりそうなお話しで

それゆえに、

お父さんのことは一切話さないと言います。

Gテャンのお父さんとは訳あって二回目の結婚らしい。


お父さんとの結婚はどうも彼女の心から望むものではなかったようで

今となってはもうその存在さえ忘れているみたいですね。


不思議なもので

Gチャンもそんな母に育てられたからなのか、

今まで交際した男性の多くは計算がらみでした。

愛情よりも計算が先に立って彼女は今も一人です。

多分お母さんがそうだったから

私もそうなんやろなって、

彼女自身がそう言ってたことがあります。


もしかしたらお母さんは認知症になって幸せなのかもしれませんね。



でも私は認知症ノーサンキューです。

私の母はこの夏九十一歳で亡くなりましたが認知症は出ていませんでした。

母を見習いたいです。

温泉でのんびり温まってきたので今夜は早く寝ましょうか。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症は神様からの贈り物

2018-11-23 | 日記

今朝知り合いから電話がありました。

八十七歳のおじいさんです。

近頃の陽気について話した時に、

この間まで暖かかったねー、おい。

春なんだか、秋なんだか、

冬になったんだか、

なんだかわからんような陽気だったねー、と

明るく言って

ところがあなた、こんなことを言うと

認知症になったかと思われちゃうにと言うのです。

だから言わんほうがいいかな、とか

物言うに気を使う年頃になってきた、と話します。


実は私も、

この陽気はまるで春みたいな感じもするし、

秋みたいでもあり、でも冬だなって

そう感じていたのです。

まったく正直な気持ちです。

おじさんに大いに同感。


その流れでおじさんが言ったことなんですが、

認知症は神様がくれたものなんですって。

思い出すのも辛いことや体の衰えを目の当たりにしたら

生きているのも嫌になる、

だから忘れてしまうんだって。

そして体の機能が衰えるまで

夢見心地で過ごさせてもらうのです。

あなたがそれを望めばね。



自分の人生を悲観することは

認知症の第一歩になると思いますの。

実は私、最近自分の認知症を疑うようなことがありました。

認知症には絶対なりたくありません。

人生悲観していませんから、大丈夫と思いたい。


でも、今からでも認知症予防対策を怠りなったほうがいいでしょうね。



さて、山里は今日もいいお天気です。

今日は双子座の満月。

風がなければまた焚き火でもしましょうか。

おとといはくるみの落ち葉で焚き火をしてサツマイモを焼いて食べました。

美味しかったー

あんなに美味しい焼き芋は久しぶりに食べましたね。

焼き芋また食べたいです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする