エネルギー補充を済ませて出発!国道15号を西へ向かう。
鶴見手前で風景が一変、停電で足下がよく見えない。
クルマの灯りを頼りに、途中で買ったビニール傘を杖代わりにして足下の安全を確認しながら進む。
鶴見駅入口交差点の地下道は真っ暗、駅側へ迂回して進んだ。
鶴見線を潜る。この先からは電気が通じているようでほっとする。
ただ、首都直下型地震ならばココは通れないだろうな。
ようやく子安にたどり着いた。
歩道は横浜方面から歩いて帰宅する人が多数。中にはヘルメットと非常持ち出しを持つ方も。
道は相変わらず大渋滞。
道路標識に従って国道1号へ。見慣れた風景が見えてきた。
ようやく横浜駅に到着。時計は21時前。
臨時の公衆電話が開設され、電話をかける人が並んでいた。
そばの交番では、帰宅困難者のための避難所としてパシフィコ横浜が案内していた。
バスか地下鉄が運行再開していたら・・・と期待したが、地下鉄は運行停止中。バスは渋滞により無ダイヤ状態。
交番でルートを確認し、覚悟を決めて再度歩き始める。
横浜駅周辺は海抜が低く、津波による浸水を懸念したがそれは無かったようだ。ただ、歩道のタイルが波打っている場所もあり、それなりに被害がでているようだ。
根岸線の高架を左に見て桜木町駅前、そこから右折して野毛通りへ。営業している飲食店の灯りにホッとする。
日ノ出町からは大岡川に沿って上大岡方面へ。
大岡川の水は海へ向けて一気に流れている。津波の引き波のようだ。
川沿いは人通りが少なく、足下の安全が確保できないし、仮に押し波が来たら・・・と考え、鎌倉街道沿いに進むことにした。ここもクルマは大渋滞。途中の公衆電話で実家に電話したが繋がらなかった。
弘明寺辺りから沿道はまた停電。信号は自家発で点いていた。
あともう少しと自分に言い聞かせ22:20過ぎに自宅に帰着。当然停電しており、懐中電灯で照らしながら冷蔵庫へ冷凍室から取り出した保冷剤を投入。ガスは通じていたので、蝋燭に点火、火鉢用の炭に火を熾して暖をとる。
23時前に停電は復旧。実家へ電話を入れたら通じ、両親を安心させた。
まろねふさまとシンコーさまから無事ですかメールが届いていたんで返信したが、届かなかったようだ。
地震発生後初めてTVのニュース映像をみたが、被害の大きさに言葉を失った・・・
鶴見手前で風景が一変、停電で足下がよく見えない。
クルマの灯りを頼りに、途中で買ったビニール傘を杖代わりにして足下の安全を確認しながら進む。
鶴見駅入口交差点の地下道は真っ暗、駅側へ迂回して進んだ。
鶴見線を潜る。この先からは電気が通じているようでほっとする。
ただ、首都直下型地震ならばココは通れないだろうな。
ようやく子安にたどり着いた。
歩道は横浜方面から歩いて帰宅する人が多数。中にはヘルメットと非常持ち出しを持つ方も。
道は相変わらず大渋滞。
道路標識に従って国道1号へ。見慣れた風景が見えてきた。
ようやく横浜駅に到着。時計は21時前。
臨時の公衆電話が開設され、電話をかける人が並んでいた。
そばの交番では、帰宅困難者のための避難所としてパシフィコ横浜が案内していた。
バスか地下鉄が運行再開していたら・・・と期待したが、地下鉄は運行停止中。バスは渋滞により無ダイヤ状態。
交番でルートを確認し、覚悟を決めて再度歩き始める。
横浜駅周辺は海抜が低く、津波による浸水を懸念したがそれは無かったようだ。ただ、歩道のタイルが波打っている場所もあり、それなりに被害がでているようだ。
根岸線の高架を左に見て桜木町駅前、そこから右折して野毛通りへ。営業している飲食店の灯りにホッとする。
日ノ出町からは大岡川に沿って上大岡方面へ。
大岡川の水は海へ向けて一気に流れている。津波の引き波のようだ。
川沿いは人通りが少なく、足下の安全が確保できないし、仮に押し波が来たら・・・と考え、鎌倉街道沿いに進むことにした。ここもクルマは大渋滞。途中の公衆電話で実家に電話したが繋がらなかった。
弘明寺辺りから沿道はまた停電。信号は自家発で点いていた。
あともう少しと自分に言い聞かせ22:20過ぎに自宅に帰着。当然停電しており、懐中電灯で照らしながら冷蔵庫へ冷凍室から取り出した保冷剤を投入。ガスは通じていたので、蝋燭に点火、火鉢用の炭に火を熾して暖をとる。
23時前に停電は復旧。実家へ電話を入れたら通じ、両親を安心させた。
まろねふさまとシンコーさまから無事ですかメールが届いていたんで返信したが、届かなかったようだ。
地震発生後初めてTVのニュース映像をみたが、被害の大きさに言葉を失った・・・