美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

奇妙な偶然

2018-06-11 17:03:16 | 西洋美術
美術作品の研究をしていると、これは「奇妙な偶然」なのか、それとも偶然ではなく、他に何らかの必然的な意味があるのか、とかなり迷うようなことがあります。

茨城県近代美術館にシニャックの水彩画とされる4点の作品があります。

うち2点は「ポン=ヌフ」と題される1912年と1927年の作品、さらに「パリのシテ島」という1927年の作品、そしてもう1点は1906年の「ロッテルダム」という作品です。

このうち、「パリのシテ島」という作品は、作品名にもかかわらず描かれている画面の左右どちら側がシテ島なのか、わかりませんでした。

しかし調べていくと、画面右手側が、シテ島であり、そこに描かれている橋も、シテ島に架かる幾つかある橋のうち、やはり、ポン=ヌフだということが分かりました。

オルフェーヴル河岸から見たポン=ヌフが画面中央部に描かれていたのです。

実は1927年のこの水彩画とよく似た構図の油彩画が少なくとも2点はあります。1913年と1932-34年の作品です。題名はどちも「ル・ポン=ヌフ(プティ・ブラ)」です。ただし、後者の制作年の作品は、「プティ・ブラ」が、F.カシャンのカタログ・レゾネでは、小括弧に入っていません。ただ、それだけの違いです。

プティ・ブラとは、シテ島の南側を流れる小さい方の支流であるセーヌ川を指している言葉です。

これら2点の油彩画の作品名は、日本語の作品名にするときは、敢えて定冠詞をつけずに簡単に「ポン=ヌフ(プティ・ブラ)」でもいいでしょう。

それなら、これと殆ど同じ視点から描いた水彩画「パリのシテ島」も、誰がそうしたのか、こんな人を迷わせるタイトルを付けずに、単に「ポン=ヌフ(プティ・ブラ)」でよかったのではないでしょうか。

いずれにせよ、茨城県近代美術館にある3点のパリを描いたシニャックの水彩画の橋の風景は、すべて「ポン=ヌフ」を中心に描いたものだったのです。

ところで、茨城県にあるこれら3点のポン=ヌフを描いた作品と「ロッテルダム」のうち、1912年の「ポン=ヌフ」と1906年の「ロッテルダム」は、ちょっと嬉しいことに、日本にあるシニャックの油彩画とかなり関連の深い作品です。

ひろしま美術館の「パリ、ポン=ヌフ」1931年作と島根県立美術館の「ロッテルダム、蒸気」1906年作です。

これは喜んでいい偶然でしょう。

しかし、これらも比較対照してよく見ていくと、画面構成や対象のモティーフが、かなり重なる部分とそうでない部分があり、さらに検討していく必要がありました。

すると、ひろしま美術館の作品よりも、1913年の個人蔵の「ポン=ヌフ」という作品が、1912年の「ポン=ヌフ」茨城県近代美術館蔵に近いことが分かりました。

そして、さらにこの個人蔵の「ポン=ヌフ」の図版が掲載されているF.カシャンのカタログの同じページには、1927年の「パリのシテ島」茨城県近代美術館蔵に関連の深い2点の油彩画うち1913年の「ポン=ヌフ(プティ・ブラ)」が掲載されていました。

カシャンのカタログの300頁には2点の白黒図版しか掲載されていないのですが、それがいずれも茨城県近代美術館にある水彩画に関連したものだったというこの偶然はどうでしょう。

ところが奇妙なことに、カシャンのカタログには、その2点の油彩画に関連した作品として茨城県近代美術館の水彩画は、言及されていないのです。

茨城県近代美術館にあるロッテルダムを描いた水彩画と島根県立美術館にある「ロッテルダム」の画面下半部の著しい類似性と上半部の著しい相違点も謎に包まれたままです。

以上の様々な偶然の一致と不思議な相違は、どう考えるべきでしょうか。まだ未解決の問題が存在するから、これらの奇妙な偶然が起こっているのでしょうか。





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ルノワールの「鞭を持つ子ども」

2018-06-11 09:10:04 | 西洋美術
ロシア、サンクト=ペテルブルクにあるエルミタージュ美術館蔵のルノワールの作品。1885年制作。

1995年、茨城県近代美術館で開かれた「エルミタージュ美術館展 19〜20世紀フランス絵画」に出品された。

この作品の題名は、注意して読む必要がある。

「鞭を持つ少女」ではない。モデルは実は5歳の少年。複製図版などで比較的よく知られている作品ではある。

しかしモデルが少年であると聞くと、驚く人も多い。

ルノワールは少年の姉も描いている。

その作品はワシントンにあり、作品の大きさを比べてみるとほぼ同じである。

その作品の題名は「輪を持つ少女」

子供たちのポーズや衣装を比較してみると、鞭を持つ子供と共通点が多く、今ではロシアと米国に別れ別れになってしまった作品が、本来は対をなしていたことがわかる。

ちなみに画家はさらに2人の兄たちの肖像画も一対にして描いている。

また、ルノワール60歳のときの子、三男クロードも、女の子のように育てられ、そのような姿で描かれた作品が残されている。

ルノワールは印象派の代表的画家には違いないが、この作品は、彼の芸術中で特異な位置を占めるものであり、顔の描写を中心に彼の「反印象主義」的な特徴が認められる。

なお、「鞭を持つ子ども」の姉を描いたワシントンのナショナル・ギャラリーにあるルノワール作品「輪を持つ少女」と、同じようなポーズで輪を持つ少女を描いた全身像の「エリーズ嬢の肖像」が、島根県立美術館にある。制作年も同年で、ラファエル・コランによる作品である。

比較すると、同時代、同ファッションによる少女の全身像肖像画ながら、ルノワールとコランの作風の違いがよくわかって興味深い。
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6月10日(日)のつぶやき

2018-06-11 03:55:02 | 日々の呟き
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